第30回数学教育論文発表会(日本数学教育学会)・テーマ別部会,1997.11.24
「図形・論証(コンピュータを含む)」研究部会[発表]
作図ツールによる数学的探究の変革のためのインターネット利用
愛知教育大学
飯 島 康 之
http://www.auemath.aichi-edu.ac.jp/teacher/iijima/
yiijima@auecc.aichi-edu.ac.jp
Fax/Tel:0566-26-2329
1.コンピュータ利用に伴う数学的探究研究への影響
コンピュータの発達と普及によって, 数学的探究の研究は新たな段階に入ったと言える。
第一に, コンピュータを利用することによって, 今までにできなかったような数学的探究が可能になったことである。これまでの「紙と鉛筆」による数学的探究がとても促進されたり,あるいは, 異なった数学的探究が可能になった。
第二に, そのような数学的探究のための環境を, ソフト開発という手段によって開発することができるようになったことである。これまでも, 教育研究の対象として, 「教具」などがあった。基本的には, ソフト開発もそのような教具開発・教材開発の延長線にあるけれども,教具開発が素材の「モノ」としての属性をどう生かすかが主たるポイントであるのに対して,ソフト開発の場合は, コンピュータ画面に対する属性の設定とともに, そこでのイベントに対する様々な処理を明確化することによって, 「モノ」だけでなしえない環境を生成する。教具と言うよりも, 学習環境・教育環境そのものを設計・開発している側面が強い。
第三に, そのように開発された学習環境(=ソフト) を, そのまま学校内外で利用可能だという点である。開発された環境は, 実験室内のみで利用可能なものではない。ソフトによって,必要なコンピュータ資源は異なるが, それさえ満足すれば, ソフトを複製し, インストールするだけで, 現実の学校内外の教育環境でそのまま利用可能である。
2.作図ツールの特徴とその教育研究の現状
では, 実際に多くのソフトが研究・開発され, そして学校で利用されているかと言えば, 必ずしもそうではない。しかし, そのような研究・開発・利用が比較的進んでいる領域として,「作図ツール」が挙げられる。
作図ツールというのは, 大雑把に言って, 図形を作図し, 変形等による探究が可能な環境の総称である。この作図ツールに関しては, 次のような特徴がある。
(1) 様々なソフトがある
草分けはGeometric Supposerであるが, 変形などの「動き」はなかった(ただ, 当時のコンピュータの能力を考えると, それも無理のないことだった) 。その後, ほぼ同じ時期に様々なソフトが開発される。現在, 日本国内で利用されているソフトからいくつかを選んでみるだけでも, Cabri Geometry,Geometric Constructor,Geometer's Sketch Pad,GeoBlock,Geometric Writerなどがある。この他に, 国内で利用されている様々なソフトもあるし, また海外で利用されているソフトもある。
(2) インターラクティブな数学的探究
作図ツールを使って行うのは, 基本的には変形や作図である。しかし, 決められたことを決められた通りに行って, 所定の結果を導くというために行うのではない。あるいは, そのような目的で使おうとした場合であっても, 生徒は図を観察することによって, 様々なことに気づく。しかも, その気づきが多様である。一つ一つのプロセスにおける選択肢は限られていても,ある選択を行ったときに次に何を感じ, 何をするかという一連の数学的探究は, 非常に多様なものになっていく。そういう意味で, 作図ツールを使うと, インターラクティブな数学的探究が生まれやすい。極端な話,5分の準備時間で「変形」の仕方をマスターしさえすれば, かなりの人々にとって, それなりのインターラクティブな数学的探究を行える点が, 作図ツールの持っている特徴だと思う。
(3) 様々な研究者による研究の蓄積がある
また, 数学教育研究としての成果も,1990 年あたりから, 様々なところで発表されている。大学の研究者によるものもあれば, 小・中・高等学校の実践の立場からの発表, 県・市の研究センター等を中核とした発表もある。しかも, 日本のみでなく, アメリカ, フランス, ドイツ,イギリス, オーストラリア等の雑誌でそれらの論文が見いだせるように, 世界的にも認知されている領域だと言える。
(4) 優秀なユーザーが各地に存在(点在?)
上記において実践の立場からの発表が多いことが示すように, いろいろな場所で自主的に研究授業が実施され, 様々な成果が得られている。このことは,(授業の道具として使いこなす)優秀なユーザー (教師) が各地に存在していることを示している。しかし, そのような優秀なユーザーがいる地域であっても, その地域の大多数の教師が利用しているというような地域はおそらくない。つまり, 例外はある程度あるかもしれないが, 多くの場合, そのような優秀なユーザーは「点在」しているのである。
3.現状の課題と問題点
上記のような現状をどう評価すべきか。一言で評価すれば, 「作図ツールによる数学的探究は, 学校教育の中に定着しつつある」ということであろう。しかし, 次のような点を問題点として挙げることができる。(以下は, 作図ツールに関する問題点であるが, 同時に, かなりの割合の教育用数学ソフトに共通する問題点だと思う。)
(1) 研究成果の共有があまりない
個々の研究者・実践者による研究成果や蓄積はあっても, それぞれが「点在」したままで,同じようなことを別々に独自に行っている傾向が強い。それは, 一つのソフトのユーザー同志に関してもそうであり, また複数のソフト間でのユーザー同志になるとさらにそうである。
現在, 作図ツールを使った授業に関する事例集は3冊ある。この程度の事例集を作るだけでも相応の努力が必要であるだけでなく, 一定数の販売が見込めなければ, 書籍として上梓することはできない。しかし, 現実の販売実績を考えると, このような形での研究成果の公開と共有を継続するのはなかなか難しい。
(2) 個々のソフトに関する研究としての研究が多い
特に, 複数のソフト間の成果の共有に関しては, それぞれの研究が, 「特定のソフト」に関する研究成果として発表されることにも関係している。もちろん, そのソフトでしかできないことも多いのだが, かなりの部分はどのソフトを使っても共通して成立することが多い。少なくとも, 複数のソフトにおいて共通して成立する内容と, そのソフトのみで可能な内容とを区別して発表するようにすることが必要である。
(3) 現行のカリキュラムの制約の中で可能なことのみにとどまりやすい
実際に授業を行う場合には, 現行のカリキュラムという制約は大きい。特に, 諸学校の教師による研究授業の場合, そのような制約を踏み出すことは難しい。その結果, 「通常は紙と鉛筆でやる授業」の代わりに, 「コンピュータを使うとこういうこともできるようになる」という形での研究が中心になる。そのため, 現状を漸進的に改革するための方策は蓄積することが可能だが, 大きな Breakthoughを生み出すということはできにくい。
4.ネットワーク利用のインパクト
上記のような現状を打開する上で, ネットワークをうまく利用することが, かなりの可能性を持っている。現在も, ほとんどの大学の研究室は SINET経由でかなり良好な形で結ばれている。また, 諸学校に関しては, 現在インターネット接続している学校はまだ一部ではあるものの, おそらく数年後には, ほとんどすべての学校がインターネット接続されるであろう。現在においても, 個人の経費によって家庭でインターネット接続している教員の集団によるコミュニケーションが各地で成立しているが, それが数年後には, 基本的にはすべての学校で職務の一部として行うことが可能になるのである。このことの意味を以下で検討してみたい。
(1) 情報の公開と共有
第一に考えられるのが, 様々な情報が公開され, そして共有しやすくなるということである。たとえば, 現状においては, 研究者集団の一員であるか, あるいは, それらの人々と連絡を取り合っているような立場の人でないと, 豊富な情報を入手することはできない。そういう人的なつながりを持っていない人は, 一般的な書籍や雑誌による情報入手に制限される。特に詳しい情報は書籍に限定されるが, 書籍も, 発行部数そのものが少なく, その書籍に関する情報を入手することがそれほど簡単ではない。
これに対して, 例えば,WWW等による情報公開においては, 発信者の努力と気持ち次第である。「紙数の制限」のようなものもないし, 「だれにでも分かる初歩的なこと」を書いてもいいし,自分と同じような立場にいる人にしか分からないけれども, とても重要なこと」( たとえば,開発に関わるようなことはこれに該当する) を書くこともできる。
そのため, 原則的には, 「知りたいと思う気持ちを持った人は, どこにいても, そしてどういう立場の人でも, 一定のノウハウと基礎知識さえ持っていれば, 必要な情報に到達することが可能」なのである。
(2) バーチャルなワーキンググループによる日常的なディスカッションの成立
同時に,WWWとメール (特にメーリングリスト, 以下ではMLと省略することもある) によって,ネットワーク上では, 「共通のことに関心を持つ人々」のコミュニケーションが成立する。たとえば, 昨年報告されたメーリングリスト matheduでは, 約350 人がいるが, さらに特定の話題について議論したいという人は, 独自にいろいろなメーリングリストを形成している。たとえば, 私もGeometric Constructor に関するメーリングリスト gc-mlを開始した。そして, その中で, Geometric Constructor / Win の最新版の配布を提供したり, その版のバグに関する報告・修正などを始めている。現在はまだメンバーは少ないが, 地理的・時間的な制約がないので, 各自が時間的・精神的余裕があるときに発言すればいい。面白い話題であれば, そのまま突っ込んだ話題になると, つまらない話題であれば, 自然消滅する。そのような, バーチャルなワーキンググループによる日常的なディスカッションが成立するということは, 互いの成果・思いつき・問題意識など, 様々なことを共有する上で, 非常に大きな意味がある。
(3) WWW とMLの連動
さらに, 多くの場合,WWWとMLは連動している。誰が見るのか分からない文章をせっせと公開し続けるだけの気力がある人はあまりいないが,ML で話題になったことに関して, 手持ちの資料をWWW 化したり, またメールの中で書こうと思ったことを, 少し詳しく記述してHTML化し,他の人にも使える資料としてWWW 化することはよくある。
(4) ネットワークと一体化したソフトの利用
筆者は現在,Windows95/NT 下で利用可能な
Geometric Constructor / Win
を開発している。これまでは DOS上のソフトとしてのGeometric Constructor を使っていたため, ネットワークでの議論や WWWでの資料作成と, ソフトとの関わりはあまりなかった。紙上に書かれた資料と同じような性質のものをWWW 上で公開し,ユーザーはそれを入手できるという感じである。
しかし,Windows上のソフトであれば, たとえば,WWWブラウザ(Netscape Navigator やInternet Explorer など) に表示されている当該データへのリンクをクリックするだけで, 作図ツールを起動し, そのデータを読み込み, 継続して使うというようなことが可能である。あるいは,Java等によって, そのようなソフトの機能そのものをブラウザの中でアプレットとして実現する( 現在でも,JavaSketchPad はそのような機能を一部実現している) 可能性もある。
つまり, ネットワークによるコミュニケーションや情報探索等と一体化した形でソフトを使うことが(すでに現在においてさえ) 可能なのである。
なお,Geometric Constructor / Win では,ソフトの中にブラウザ機能を取り込むことによって,ネットワーク対応を図っている。
(5) ネットワークが使えない環境との連続性
一方, 学校の中では, ネットワークに接続していないコンピュータやネットワークに接続することは実質的に無理な機器(DOS,Win3.1 マシンやグラフ電卓) もある( 現在は大半がこちらに属する) 。これらを使った授業も可能であるためには, それらの機器でもほぼ同じことが可能なソフトを提供し, 少なくともデータに関する互換性と, 可能であれば, 操作性に関する互換性を確保することが必要である。現状において, 複数のプラットホームで使えるのは,
Cabri : 98,DOS/V系のDOS マシン,Win,macintosh,TI-92(グラフ電卓)
Geometer's Sketch Pad : Win,macintosh
Geometric Constructor
: 98,FMR系,DOS/V系のDOS マシン, Win(95/NT)
であるが, このような努力が適切に評価され, そして広がって行けば, 様々な場所での実施可能性が広がるだけでなく, ネットワークに対応したソフトの価値も大きくなる。
5.数学的探究の研究やカリキュラム開発を支えるネットワーク利用
ネットワークというインフラが整備されることによって, 果たして数学的探究に関する研究や, カリキュラム開発に関する研究は前進をみることができるのだろうか。大学関係に関しては,SINET等によってある程度快適な環境がすでに構築されているが, これによって, 数学教育研究がどれほど前進してきたのかを考えると, あまり過大な期待はしてはいけないようにも思う。 (特に, 諸学校がネットワークでつながったとしても, そのこと自体で急に大きな変革が可能になるという錯覚は持たない方がいい。)
しかし, 大学の中でのネットワーク利用(特に情報発信や研究成果の公開・共有) に関しては, まだこれからの面が多いことや, 少しずつでも, ネットワークによって, 我々の研究が推進されつつあることを考えると, ネットワークを利用してどのようなことを進めていける可能性があるのかという点に関しては, 明確な方向性を持っているべきであろう。
(1) 「自らの数学的探究を楽しむこと」の支援
我々はよく, 「自ら発見すること」など, 数学的探究に関わることを, 生徒の学習目標に挙げたりすることが多い。しかし, 果たして我々自身や多くの現場の先生方自身にとって, 「自ら数学的探究を行っている」と自負している人はどれだけいるだろうか。自らが, 自らにとってのオープンな問題を手さぐりで解決してみたり, あるいは, 自分なりに問題を定式化してみたりした経験がどの程度あるだろうか。そしてまた, そういう経験に関して, 議論する( つまり数学的探究に関して議論する) ということが, どれほどあるだろうか。おそらく, それほど多くないのが実情だと思う。
事態を多少緩和しつつあるのは, 「課題学習」や「選択学習」である。教科書等で明確に内容が既定されていないため, 多くの先生方が, 様々な教材を開発したり, また新たの教材を探している。教材や授業に関する議論が, いろいろな場所で生まれている。
このような教材論・授業論の拡大・延長として, さらに多くの議論を生むことはできないだろうか。課題学習や選択学習の素材探しをする中で見つけた自分なりの面白い発見を, 他の人とのコミュニケーションによって育てたり, 道具を変えることによって, 違う発展があることなどを経験することによって, 個人としての体験的な数学へのこだわりが生まれる可能性があるのではないだろうか。ネットワークは, そのような体験をするための道具 (作図ツールのようなソフト) を提供する場所であると同時に, 資料を探す図書館でもあり, また議論を行うための会議室でもある。そのようなインフラが整備されることによって,数学的探究を楽しむ人々, そして数学的探究を探究する人々, そしてそのようなプロセスの教材化や授業化の可能性を探る人々の層が増していくことにつながると思う。
同時に,そういう場所に参加可能な人々の層を,教員以外のいろいろな人々に広げる作用も持っている。現在でも,数学教育関係のメーリングリストに,教員以外の方が参加され,自由に意見交換することがある。WWW を見るだけなら,さらに幅広い人が参加している。 (たとえば私のところにも,たまに変わった方かはメールが来ることもある。) そういう幅広い人々の参加によって,「教科書の周辺の数学」だけでなく,様々な数学に関して議論の層を広げていける可能性がある。
(2) 数学的探究の事例と一緒にソフトが生み出す数学の世界を育てる
作図ツールはインターラクティブな数学的探究を生み出すと述べた。そのときの「インターラクション」は, 探究者と環境の中で起きている現象あるいは数学とのインターラクションであった。しかし同時に, ネットワークによって結ばれている中で議論を行うことによって, 数学的探究に関心を持っている者同志が, 互いにノウハウをやりとりすることによって, インターラクションを形成することも可能である。また, ユーザーと開発者がインターラクションを形成することも可能である。
そのようなインターラクションは, 基本的に具体的な事例によって育てられることが多い。開発者自身あるいは, 一人の探究者の中で想定していたり, 生じている具体例は限られたものであるが, それをより多くのユーザーの事例に広げることによって, より広範な世界が構築されることになる。
(3) すぐに使える研究・実践のためのリソースを作りながら
カリキュラム開発を目指す場合であれば, おそらく通常は, まず研究チームを形成し, その中で公開できるところまでプランを作成し, その参考資料を提供するという形になるだろう。しかし, ネットワーク利用を前提とする場合は, 多少異なるアプローチをとることも可能である。つまり, 資料として利用可能と思えるものから少しずつ作成・公開し, 研究や実践を並行して実施するのである。そして, 多少比喩的な言い方をすれば, 「万人に使えるであろう事例」をまんべんなく収集することを目指すというよりも,(統一性や全体的なバランスを取るために, 誰かがある程度のコーディネートをすることはあるとしても) 「少なくとも自分にとって意味のある事例」を様々なメンバーが作成し, それらを公開・共有しあうのである。それらの資料は, 個々の単体としても, また全体像としても未成熟な部分はあるとしても, 必要に応じて, それを支えている人々が反応し, それを修正したり, 追加していくものと考えることができる。出来上がっているデータベースと違って, 必要に応じて対処しうる人が関わっているからだ。
そのような, 「柔軟な構造の教材データベースと, 応答可能な人的ネットワーク」の形成を,カリキュラム改革のためのバックボーンとしていこうというのが, ネットワーク的なアプローチということができると思う。
6.おわりに
−ネットワーク的な価値観や行動原理は理解され,共有されうるのか−
さて, 多少「絵に描いた餅」的なことを書いたが, 果たしてそれは実現するのか。部分的には現在でも実現しているし, それは継続すると思う。というのは, 資料作成や開発のための道具としてのコンピュータが, 個人が行える能力をかなり高めてくれていることと, ネットワークの普及は, 個人の情報発信・収集能力を飛躍的に高めると共に, そのための経済的な障壁をかなり解消してくれるからである。
しかし, そのような試みが, 特別な人による特別な試みとして位置づくのか, あるいはある程度の割合の人々による共鳴と行動を得るのかによって, その後の進展は大きく異なるだろう。単に, 一部のボランティアによって作成される「無料で便利な資料集」としての理解しか得ないのであれば, いずれそのようなシステムは破綻する。ある程度の時間経過の中で, そのような試みを始める人の割合がある程度にまで増えて行くことが必要だ。
従来の価値観や行動原理と, ネットワーク的なものとのズレという, 非常にややこしく微妙な問題が背景にあるのだが, 時間の経過と共に, ネットワークからの情報収集の利点に始まり,情報発信や情報共有が結果として自身にも大きなメリットをもたらすことを経験されることを期待する次第である。
Geometric Constructor による数学的探究の制約と多様性 −主要3機能(変形・軌跡・作図)に関連して-