From: "aikyou" Subject: 2/18、1限授業(M97053野田@情報) Date: Wed, 17 Feb 1999 02:59:33 +0900 Sender: iijima-report-request@math-ntserver.auemath.aichi-edu.ac.jp ”数学教育におけるインターネットの活用について” http://www.auemath.aichi-edu.ac.jp/teacher/iijima/article/1999/01.HTM を読んだ感想、意見 あまり、数学の問題にこだわらず、ベースとなる、ネットワークの普及、有効利用の 手段という視点 から捕らえて以下に述べる。 <1> GC/WINの完成度はかなりあがってきているようで、このようなソフトによる 学校教育の発展の期待の大きさを感じた。DOS版では普及という点での 難しさが感じられたが、大幅に普及したインターネットのホームページ の閲覧からGCの利用へとつながっていく経路を考えると、多くの人に受け入れられる ことがDOS版に比べ、かなり容易である。 いいものも悪いものもインターネットの特性を活かせば普及のための最低限のステッ プ は踏める。これはインターネットの急激な普及という背景が成している。 wwwは、情報の公開と言う側面が大きい。情報の公開の他には、教育に関して言え ば、情報の交換、コミュニケーションツールとしての利用価値が高く、また、 今後の教育改革の期待は大きいものである。 教育におけるwwwの特性は、フォーラムにもあったように、不特定な人にたいする 情報発信である。 もちろん特定の人のみが利用できるように、アクセス制限を設けることも出来るが、 商用目的のよ うに利益を追求するわけでもないし、今回取り上げられている話の場合特に制限の必 要性は少ない。 一部の人に配られる、研究報告の冊子は確かに、費用もかかり、 一般の人の目に触れることも少ない。しかし、インターネットの特性を活かせば、 コストも大幅に下がり、生産性を考えた場合も利点がある。 アクセス数に応じて、発行できると考えれば、何十部から何万部発行して もその都度通信が行われるだけであり、冊子には出来ない大きなメリットがある。 インターネットのメリットを十分に活かせば教育の発展は十分に期待できる。 数年前の「100校プロジェクト」につづいて、2001年には各学校に最低1台のパソ コンが インターネット接続される。これは、コストの面を考えるとかなり大変だということ は分かる。 しかし、私はそれ以上にその有用性に大きな期待をする。なぜなら、教師がどう生 徒、児童に たいして教育をするのかは当然考えられているが、教師をどう教育するかは授業には ほとんど 出てこない。自己批判はなかなかできない。教育に関わらない外部の 人間の意見をとりいれる場としても、インターネットを重要なコミュニケーション ツールとして利用 したい。 <2> ”数学教育におけるインターネットの活用について” でかかれたインターネットを利用した可能性の他の可能性を考える。 教育のホームページは、その分野を研究する人々の目にばかり留まるようだが、広く 一般に 受け入れられれば、いままで行き違いだった、家庭ー学校間の考え方のズレも大幅に 改善される。 ビルゲイツが提案していた、パソコンの家電化が実現することは難しいことではなく なってきた。 衛生利用やギガビット通信、大容量サーバなど発展途中ではあるが、近い将来実現す れば、 その土壌の上に簡単に教育ネットワークなるものを構築することは可能だろう。 子供が学校に通う家庭の何割かが少なくとも、教育ネットワークに参加すると考える だけでも かなりの巨大な意見交換、情報交換等のネットワークができあがる。 この教育ネットワークの実現化は多くの人的作業を必要とし難しいかも知れないが、 実現すると いう過程で話を進めれば、幾つかのメリットが考えられる。 いままで、教育側の人間が考える教育と、それ以外の人間が考える教育には大きな ギャップが 実際に見られる。そこにはお互いの誤解も存在しており、さらに、外部の人間は現在 の教育改革 の現状すら把握してない場合がある。 学校の教員があまり社会に対して理解をしていないということもあるようだ。少し前 の新聞だが、紙面 で教員の世間での経験の少なさが指摘されていた。企業側の人間や、地域の住人を教 員として取り 入れるという考えは昔からあるがいまだに指摘されると言うことは実現が難しいのだ ろうか。 確かに、企業や自営業の人間が会社や店をすてて教育に赴くということは考えにく い。 しかし興味をもってもらうことはできるし、その逆に、教員が企業に対して 興味を持つこともできる。教育ネットワークの上で情報公開、意見交換を通してそう いったことが 出来ないだろうか。教員は今の仕事を捨てて、企業に入り違う分野で柔軟性を養うこ とができなくても 多少なりとも、意見交換の場が活発になれば社会と切り離されて考えられがちな教育 をより親密にする ことが出来る。ここでいう、社会と切り離された教育というのは、外部の人間はこう 考える傾向があるのでは ないのかと言う、私の見解である。逆に教育者はというと社会を見据えた教育を考え ようとしているのが 現実のようだ。この辺りも両者の考え方の違いの一つだと思う。 <3> 情報公開、意見交換などが、関係者の間だけでなく教育の内外で行われれば、教育に 対する理解が広まる。 そういった教育ネットワークの基礎が出来上がれば、数学教育に関するネットワーク 社会の形成に必要な多くの リソースもより広く受け入れられ、有効に生きてくる。このようなことが実際に実現 するかどうかは、わからないという 記述がしてあったが、実現の見込みはあると思う。問題は数多くあるが、ただ、すべ ての問題を教育者サイドで解決することはそもそも不可能である思う。ネットワーク システムの信頼性、及びネットワーク上の有害コンテンツや、 いわゆる”あらし”などをはじめとした数多くの問題は確かに存在し、教育現場の ネット普及の足止めになっている。 企業が様々なネット上の問題を解決し、その土壌の上で教育ネットワークが実現する という形が自然だろう。 せっかくの素晴らしい教育システムや、ツールを開発しても普及しなければ素晴らし いものではなくなる。普及が実現 することを目的としているからである。そのために、広く一般にインターネットをい かした教育に対する理解がえられ、 興味を得ることが必要になってくる。その普及に関して言えば、一般企業が”ドラ ネット”(http://www.doranet.ne.jp/ 小学館)などの普及率の高い教育のシステム を作っている。(実際の普及率は分からないがかなりの人気らしい。) こういった企業との連携ができれば、ボランティアで作り上げた教育システムの資源 を 活かすことが出来る。つまり、いままであまり広まることのなかった、大学が開発し た教育ツールをより広めることができるということである。ただし、商売上の問題が でてくることを無視すればの話である。 大学や、各学校の公務員としての教員や学生の持っている学習のノウハウを、利益を 目的とする企業がとりいれれば いままでの、情報公開における問題も含め、いままでは埋もれていたすばらしいツー ルをより広く普及することが出来るかもしれない。しかし、現在は教育の内部の人間 と外部の人間の間が広いせいか、うまく連携しているようには感じられないが、この 実現は教育ネットワークの普及、確立のための一つの手段としては興味深い。 <4> 「どのような問題をどう扱うことが,ネットワーク的に適しているのか」についてだ が、現在のネットワークを活かした教育の例を過去に放送されたTV番組の内容から一 つ挙げる。 だいたいのことしか記憶にないが、こんな感じだった。 名古屋の小学生が、靴などの履き物について調べる授業があった。その時生徒はイン ターネットを使用することが一つの手段としてあった。インターネットを介して、北 海道などの東北や、沖縄など雪の降らない地方の学校に向けて、今行っている授業の 説明をし、情報の提供を求めると、各地から返事がくるというものである。その結 果、興味深いのは、”お互いの”学校の児童が、履き物にたいしより深い関心、考え を持つことである。 具体的には述べないが、GCに例えて考えれば、ツールの普及、図形問題の多様化、そ の問題のデータベース化等がネットワークを介した生徒間の横のつながりによって成 されていくのではないだろうか。