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問題提示のために使う


授業らしさのための出発点
「授業とはどのようなものであるべきか」は, 人それぞれでしょう。私の考えを押しつけるつもりはありません。
しかし, 「分かりやすく説明すること」も授業において大切であると同時に, 「いい疑問を生み出す」こともやはり授業において大切なことだと思います。
多くの先生は「発問」にこだわります。
そして, 作図ツールを使うと, この発問を変えることができるところが, 「授業のための道具」として, なかなか面白いところです。

「動き」や「観察」が入ることで可能になる発問
黒板に書いた動かない図で発問しても「ノリ」が悪いけれども, 「動き」や「観察」が入ることによって, 少しでも生徒の反応が変わる可能性があれば, ぜひ検討してみましょう。

気づきの多様性を引き出す発問
一つの問いに対して一つの答えしかない。それが数学的にきちんとした「問題」と言えます。
しかし,授業の場合,「答えが一つ」の発問がいつもいいとは限りません。一人の生徒が発表したら, それでおしまいです。より多くの生徒に発表のチャンスを与え,それぞれの意見を整理したりまとめたり, ときには対決させたりする。そういうことは一斉指導の場としての授業の醍醐味を引き出す上で不可欠です。

オープンな発問
「この図を動かしてみよう。どんなことに気づくだろう。」
これは数学的な質問でしょうか。「答えが一つしかない問題であるべき」という観点から考えると, おかしな問題です。 とても数学的な質問とは言えません。
しかし, そういう問いをするときには, 必ずある図があるわけで, 「その図を動かしてどんなことに気づくか」を問題としている わけですから, 「いろいろな気づき」を想定した問いということができます。
問題として, 「どんなことに気づくだろう」という非常に広い問い方をしています。対局にあるのが, 答えが一つの問いと言えます。
一般に, 答えが一つの問いは「クローズドな発問」と言われ,答えが複数あるものは「オープンな発問」と言われます。
さらに言えば,その多様性の度合いが様々ありえますから, 「かなりオープンな発問」, 「ちょっとだけオープンな発問」というようなものもありえます。
いずれにしても, 「どんな答えが返って来るかな」を楽しみにし, それを授業の柱に設定するような場合は, 「オープンな発問」による授業設計ということができるでしょう。

インターラクティブ
オープンな発問は, 単に「いろいろな答えがありうる発問」ということが主眼ではありません。たとえば, ある疑問や仮説を持った場合, それを確かめようと, 画面を操作します。それを裏付けるような事実が見つかったり,否定するような事実が見つかるかもしれません。
あるいは, 「こんなことを次にしてみよう」という新しい方針が生まれたり,「どうしてこうなるんだろう」と疑問が生まれたりします。
事実だからはすべてが構成されるのでもなく, 主観だけから答えができるわけでもなく, 両者の相互作用によって, 探究のプロセスそのものが 構成されていきます。両者のやりとり, つまりインターラクションがあるからこそ, いろいろな探究の過程が生じるわけであり, それを 主眼にしたいからこそ, オープンな発問を行っているとも言えるでしょう。
対話的な操作が可能なソフトをインターラクティブなソフトとか, インターラクティブなインターフェイスというような言葉でその 特徴を表現することが多いですが, そこで実現されるインターラクションこそが, 教育的にも注目したいことと言えます。