愛知教育大学 数学教室 飯島康之
概 要
[「道具」としてのコンピュータ]
[施設・設備としてのコンピュータ]
[我々を変えるものとしてのコンピュータ]
そういう趣味的な領域だけのものであれば,あまり問題ではないのだが,最近,様相が変わってきた。
たとえば,よく売れているらしい。パソコンは。
大学でも,学校でも,また家庭でも,そしてもちろん,会社でも,いろいろな場所で,不可欠の道具になりつつある。
パソコンくらい使えないと,いろいろな仕事に支障をきたしはじめるような時代になりつつある。
(いいことなんだか,悪いことなんだか分からないけど)
しかし,パソコンは普通の家電製品とは違う。
一言で言えば,自分を育てるための道具だ。
だから,「自分」が明確でないと,ほとんど意味がない。
また,大衆化に伴い,様々なことが変化しつつある。情報誌は爆発的に増えたが,
かえって本当に自分に必要な情報は見えにくくなってきた。
たとえば,サポートの電話一つをとっても,かなり増設しているらしいが,つながりにくいらしい。
そして,その多くは,「超」初心者からの電話らしい。
結局,パソコンで一番大変なのは,「人」を育てることであり,「教育」なのである。
さて,一般論はさておいて,ここでは,自分なりのコンピュータに関する知見をまとめてみたい。
よくある対処方法の一つが,「能あるタカは爪を隠す」である。そして,「自分のことは自分でせよ」である。
変な言い方かもしれないが,「ある特定の人だけのためのお手伝い」であれば,あまり協力する気には
なれない。あるいは,心のどこかで,それに相当する対価を要求しているだろう。しかし,そのことが,
より多くの人々に共有可能なノウハウを生むものであったり,またそういうインフラ整備の仕事で
あったり,また,情報化に参加されることによって,今後に大きな期待が持てる方への協力であったり
する場合には,違った次元で積極的に支援したいと思うであろう。
数学教室の中でのコンピュータ利用一般について必要なことは,
数学教室の方のページで,
いろいろな方々の協力を得ながら,また学生や院生の方々の「ページ作りのための素材」として作っている。
そのため,ここでは,もっと,個人的なこだわりが中心となると思う。
ご了承いただきたい。
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最大のコスト
最大のコストは,パソコンの価格ではない。ソフトの価格でもない。それは人間の側にある。(と私は思う。)
コンピュータとの付き合いは,「学習の継続」である。そういう「労力」や「時間」を投資しないとパソコンは
使い物にならない。そういう「労力」や「時間」が,最大のコストなのである。
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不要な場合だってある
当たり前のことだが,コンピュータはどういう場合でも必要というわけではない。「コスト」を意識することが必要である。コンピュータを使うためには,経済的なコストの他に,管理のコスト,そして学習のコストがある。それに見合うだけの成果がある場合にのみ使うべきである。
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お世話係になる危険性とそれを避ける道
変なタイトルであるが,コンピュータに接する人は必ず避けて通れないことだと思う。
つまり,「自分の道具」としてのコンピュータのみに接しているのであれば,問題は起こらないが,多くの場合,我々は回りに相談する。
また,相談される。自分がノウハウを持てば「当てにされる」可能性も高くなる。しかし,それはいいことばかりではない。
自分の本業とは別の仕事が増えるという側面もある。つまり,回りの人々,あるいは職場のコンピュータの「お世話係」になってしまう危険性があり,それにどう対処するかが,自分の仕事を
満足に遂行するためのネックになってしまうことさえありうる。
一面において,それは正しい。本務に差し支えるような仕事まで安請け合いしてしまうのは,職業人として「失格」
でさえあると言えるだろう。
しかし,あらゆる面において,この方法でいいのかということになると,やはり疑問も生じる。
その理由をまとめれば,
ということだろうか。
例として変かもしれないが,メールでの質問に個々に答える気にはあまりならないが,MLでの質問で
あれば,それを見ているかなりの数の人での共有価値を考えると,かなり前向きに参加してみたくなる
というようなことも,そういうことへの一例でもある。