「施設・設備」としてのコンピュータ

 - コンピュータとのお付き合い -

愛知教育大学 数学教室 飯島康之




はじめに

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一般論

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個人の道具(ワープロなど)

まったく,個人的な道具であれば,ユーザーが自分の責任の範囲内で,自分に適したものを選択すればいいだけのことであろう。共同利用機器でなければ,基本的には研究室等,ユーザーの管理する場所に設置すればいい。また,データの互換性等に関する配慮も,基本的には,ユーザー自身の利益に関する問題だけなので,ユーザーが行えばよい。結局,「文具」や机・椅子の選定と同じレベルである。
特定の目的のみで使う道具としては,減価償却はそれほど大きくないが,ユーザー自身の使い方の発展によっては,仕様に不満を感じるようになることもある。
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研究のための特殊な機器

機器自身は汎用のパソコンであっても,その利用目的が特殊な場合がある。あるいは,他の機器との組み合わせたシステムの中の一部として位置づけられるような場合がある。ユーザーが限定されるようなものは,ユーザー自身に管理を委ねることが最適であろう。また,そのような機器は,品目として,コンピュータが入っているとしても,一種の実験機器として扱う方が妥当と思える。
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ある研究分野の研究のための「不可欠」の道具

学内の教官全員に不可欠ではなくても,ある研究分野の教官の多くの人にとって不可欠な道具という場合がある。特定のソフトと言ってもいいかもしれない。たとえば,統計処理パッケージはそうであろう。また,数学では,数式処理用のワープロとしてTEXを使う人が多いが,そのようなものも該当しうる。また,ソフト面だけでなく,ハード面にも影響しうる。たとえば,音楽・美術などの分野で,MIDIやCGのためのツールとして使う場合は,それなりの増強が必要だ。
これらに関しては,まず,経費が高価な場合には,共同利用のための購入・管理が不可欠になる。ハードも含めて共同利用の場合,ソフトのみの共同利用で,ハードは各端末からなど,形態は変わるであろうが,そのような経済的な面のみでなく,そのような利用に関する情報提供も不可欠になる。そして,そのような情報化に関しては,当該教室内での対応か,あるいは,該当するユーザー集団自身によるものが不可欠であって,そのような面まで,情報処理センターの担当者に要求するのは無理であろう。
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試験的な教育/イベントのための機器

教育用なシステムの場合,試験的なもの/小規模学生のためのものと,標準的なもの/大規模なものでは,かなり性格が変わってくる。
試験的なものとしては,たとえば,ゼミ単位での教育/研究のような場合が代表的である。たとえば,数学教室の通常の授業での利用では,学生数が30〜40人程度いるのが普通であるから,小規模の試験的な授業を継続的に行うというようなことはありえない。あるとすれば,「この時間だけやってみよう」というような方法のみである。そして,現在,そのような利用形態には,情報処理センター等の教室は適していない。恒常的な利用をする授業が優先されるから。

一般には,最初からコンピュータを使った授業を標準的なものとして行うことはない。まず,試験的なものをいくつか繰り返し,通常の授業の中で本格的に使う価値があるかどうか,また授業運営がうまくいくかどうかを検討してから移行するのが普通である。
そのような,「試験的な授業」をするための機器は,多くの場合,教室単位,あるいは研究室単位で行っているのが普通ではないだろうか。

このような目的のための機器は,元々目的が一時的である。継続して利用するかどうかも分からない。そのため,汎用目的の機器をいくつか用意しておいて,その場に応じて,ユーザーが適当に設定して使うというような形態が多くなる。新しい機器を少しずつ補完しつつ,古い機器を少しずつ廃棄/転換するのが,一般的であろう。

また,これに類するものとしては,様々なイベントを行う際に必要となるような,プレゼンテーション用の機器がある。特定の教室等で保管していても,利用回数はあまり多くない。そのようなものは,いわば貸出用として,準備されているべきかもしれない。
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標準的な教育のための機器

上記のような試験的な段階を経て,より本格的にコンピュータを利用した授業を行おうとする場合には,事情が変わってくる。たとえば,現在,情報処理センターの各教室で実施されている授業がこれらに該当すると思うが,場所の確保・リプレース計画,ソフトの設置・管理,カリキュラムの整備,各種資料の整備等が必要になる。
現状のセンター利用状況から大きく変わることがないのであれば,ほとんど心配はないのかもしれないが,コンピュータの利用範囲が広くなり,様々な研究領域で「不可欠な道具」として浸透していく中で,それぞれの専門の授業において,コンピュータの利用が不可欠となる場合は,今後次第に増えていくのではないだろうか。
そのような事態になった場合,現行のような体制には,いくつかの点で無理がある。
上記の問題は,「共有資産を専門に管理する人を増やせばいい」という問題だけではない。それぞれの専門でどのように使うのが適切かは,それぞれの専門の教官でないと分からない。つまり,不可避的に,それぞれ授業を担当する人が,積極的に管理に関与することが必要なのである。換言すれば,それぞれの教室・選修(領域)が,自ら主体的に取り組むべき課題として認識し,行動することが不可避なのである。
そして,センターの側でサポートすべきは,基本的な情報を提供したり,またそれぞれの教室からの情報発信・共有を容易にするための仕掛け作りなのではないだろうか。

ここで,再び,問題が再燃するわけだが,そのような,標準的な教育のための機器をどこに,どういう形で配備し,誰が管理すべきなのかということである。おそらく,数年先の状況を推測し,そろそろ準備をしておく必要があるのではないだろうか。
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情報端末(情報化を進めるための「システム」および,その端末)

標準的な教育のための機器の問題を回避する方法はある意味で簡単である。そういう授業を「しなければいい」だけのことである。しかし,現在,より深刻な問題が登場しつつある。それは,「情報端末」の必要性である。
1996年から,情報処理センターの利用者が急激に増えている。特に,これまで使わなかったような学生の利用が増えている。彼/彼女らの主要利用目的はメールであり,WWWである。つまり,情報端末として使いたいわけである。
実際,かなり多くの情報がWWWで入手可能になってきた。おそらく,就職関係での必要性は,今後増していくだろう。また一方,メールは通信手段として,かなり浸透してきた。学生の反応は速い。たとえば,サークル関係の学外との情報交換などの形で,急速にメール利用は増えている。このような意味での「あって当たり前の道具」としての情報端末の整備は果してできていると言えるだろうか。
問題点をいくつか挙げてみたい。
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