- コンピュータとのお付き合い -
愛知教育大学 数学教室 飯島康之
利用目的と減価償却
一般に,パソコンの減価償却は非常に激しい。しかし,その意味は,自動車などの減価償却とは異なる。つまり,同じ目的での使い方をしている場合には,かなりの期間使うことができるのだが,多くの場合,使う目的や使うソフト等が大きく変化する。その変化は,機器の性能アップを要求するのだが,その要求に追いつけないのである。
そのため,使う目的や使うソフト等が変化しない場合には,かなりの期間の使用を予定することが可能である。しかし,そうでない場合には,現状では長くても5年間程度。場合によっては2,3年程度で古くなってしまうことが多い。そのため,機器の更新等が不可避的な課題となる。
管理のための人的コストと経済的コスト
パソコンを快適に使うための最大のコストは,「管理」である。そして,その管理は,基本的に,ユーザーが行わなければならない。個人が使うパソコンの場合には,個人の責任で管理することが基本だが,個々の教官・学生が管理のために投資する時間・労力はかなりのものである。しかし,他人に委ねられるものではない。そのため,様々なノウハウ等を共有できるようなシステムを用意することが一つの解決策であろう。
一方,「集団」あるいは,不特定多数のユーザーが使う機器の管理は,特定の管理者が不可欠である。管理者なしのパソコンは,いずれ誰も使えないような代物となってしまう。そのような管理のための人的コストは,非常に大きいことは,あまり認識されていないのは,残念なことである。
一般に,「集団」のシステムの管理に関しては,その集団の責任で行うべき管理を,管理者に委託していることを認識すべきであろう。往々にして,管理が一部の人に極端に集中することが多いが,そのような負担に対する理解をするだけでなく,できるだけ多くの人がノウハウを共有できるような環境を整備することや,負担が分散するように配慮する必要がある。
集中管理か分散化か
管理上の人的コストを削減するための一つの方法は,集中管理である。たとえば,現在でも,情報処理センター(教育工学センター)にかなりの端末が集中管理され,授業に提供されているが,その一つの大きな理由は,経済的コストと人的コストの集中化にある。
しかし,そろそろ,そのような集中化にも,限界が見えてきつつある。端末の部屋が2つになり,かなりゆとりができたように感じたのが95年4月だったが,同時に,利用目的が多様になり,授業枠のかなりの部分がすでに埋まってしまっている。
一方,ネットワーク利用の充実により,「端末」は必ずしも集中化が適切とは言い切れない状況となってきた。集中管理と分散化に関する原理を,そろそろ検討しなおさなければならない時期になりつつある。
「なくてもいいが,あると便利な機器」か「不可欠な機器」か
「特別な人のための道具」なのか,「普遍的な道具」なのかによって,様々なことが変わってくる。たとえば,電子メールを考えてみる。連絡のためのシステムは元々既設のものがあった。そちらが中心の場合には,「なくてもいいが,あると便利な機器」である。あるいは,特定の人が,特定の人のやりとりをするための機器である。そのため,そのための管理等は,その人々が自主的に行うということでも済む。システムがダウンしたとしても,それほど大きな影響はない。
だが,1996年あたりから,電子メールは,かなり「当たり前の道具」になってきた。学内・学外との情報交換に際して,「不可欠な機器」となってきた。ネットワークがダウンすると,すぐに,「何かおかしいぞ」と話題になるほどである。さらにこれが進んで,学内の様々なシステムの「前提」として,ネットワークが位置づけられるようになれば,ダウンしたときのすばやい対処が可能な体制をはじめ,現状とはかなり違ったレベルのものが必要となる。
また,現在でさえ,「情報端末としてのコンピュータ」を必要とする学生がかなり増えてきた。これまで,情報処理センターをあまり使わなかったような学生が,大量に押し寄せつつある。これは,決して,WWWを冷やかし半分に見にくるというような学生だけではない。より,恒常的な現象だと思う。
「なくてもいいが,あると便利」な機器であれば,特別な目的を持っている人の自由意志で設置し,管理すればいい。しかし,「不可欠な機器」の場合には,管理体制等を,根本的に考え直さなければならない。
「コンピュータを前提とする」授業の数
たとえば,数学教室においては,現状においては,コンピュータ利用を前提とする授業は,それほど多いわけではない。応用数学のいくつかの授業と飯島が担当する数学科教育の授業程度である。しかし,数学の研究においては,様々な分野にコンピュータ利用は浸透してきつつある。実験的な側面を重視すれば,いずれ,数学のそれぞれの授業においても,コンピュータを不可欠とするような授業がかなり増えてくるだろう。
情報処理センターの二つの教室で消化可能な授業枠数は,18 * 2 = 36である。Macを加えたとしても,44である。現在,学内に教室が 12+5+6 = 23, 選修(領域)が 16 ある。極端な話,一つの教室で1コマ要求するだけで,39コマ。数学のように,1教室では消化できないところもいくつかあるはずなので,「専門教科で本格的に使いたい」というような使い方をする場合には,現行のセンターでの集中化というシステムには限界があるのははっきりしている。
一般には,最初からコンピュータを使った授業を標準的なものとして行うことはない。まず,試験的なものをいくつか繰り返し,通常の授業の中で本格的に使う価値があるかどうか,また授業運営がうまくいくかどうかを検討してから移行するのが普通である。
そのような,「試験的な授業」をするための機器は,多くの場合,教室単位,あるいは研究室単位で行っているのが普通ではないだろうか。
このような目的のための機器は,元々目的が一時的である。継続して利用するかどうかも分からない。そのため,汎用目的の機器をいくつか用意しておいて,その場に応じて,ユーザーが適当に設定して使うというような形態が多くなる。新しい機器を少しずつ補完しつつ,古い機器を少しずつ廃棄/転換するのが,一般的であろう。
また,これに類するものとしては,様々なイベントを行う際に必要となるような,プレゼンテーション用の機器がある。特定の教室等で保管していても,利用回数はあまり多くない。そのようなものは,いわば貸出用として,準備されているべきかもしれない。
ここで,再び,問題が再燃するわけだが,そのような,標準的な教育のための機器をどこに,どういう形で配備し,誰が管理すべきなのかということである。おそらく,数年先の状況を推測し,そろそろ準備をしておく必要があるのではないだろうか。
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標準的な教育のための機器
上記のような試験的な段階を経て,より本格的にコンピュータを利用した授業を行おうとする場合には,事情が変わってくる。たとえば,現在,情報処理センターの各教室で実施されている授業がこれらに該当すると思うが,場所の確保・リプレース計画,ソフトの設置・管理,カリキュラムの整備,各種資料の整備等が必要になる。
現状のセンター利用状況から大きく変わることがないのであれば,ほとんど心配はないのかもしれないが,コンピュータの利用範囲が広くなり,様々な研究領域で「不可欠な道具」として浸透していく中で,それぞれの専門の授業において,コンピュータの利用が不可欠となる場合は,今後次第に増えていくのではないだろうか。
そのような事態になった場合,現行のような体制には,いくつかの点で無理がある。
上記の問題は,「共有資産を専門に管理する人を増やせばいい」という問題だけではない。それぞれの専門でどのように使うのが適切かは,それぞれの専門の教官でないと分からない。つまり,不可避的に,それぞれ授業を担当する人が,積極的に管理に関与することが必要なのである。換言すれば,それぞれの教室・選修(領域)が,自ら主体的に取り組むべき課題として認識し,行動することが不可避なのである。教室数が足りない
まず第一に,教室数の不足である。
管理者が足りない
次に,現在のセンターでの体制のままで,利用授業数が増え,管理する機器が増えるとすると,管理者の負担があまりに大きくなり過ぎる。
そして,センターの側でサポートすべきは,基本的な情報を提供したり,またそれぞれの教室からの情報発信・共有を容易にするための仕掛け作りなのではないだろうか。
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情報端末(情報化を進めるための「システム」および,その端末)
標準的な教育のための機器の問題を回避する方法はある意味で簡単である。そういう授業を「しなければいい」だけのことである。しかし,現在,より深刻な問題が登場しつつある。それは,「情報端末」の必要性である。
1996年から,情報処理センターの利用者が急激に増えている。特に,これまで使わなかったような学生の利用が増えている。彼/彼女らの主要利用目的はメールであり,WWWである。つまり,情報端末として使いたいわけである。
実際,かなり多くの情報がWWWで入手可能になってきた。おそらく,就職関係での必要性は,今後増していくだろう。また一方,メールは通信手段として,かなり浸透してきた。学生の反応は速い。たとえば,サークル関係の学外との情報交換などの形で,急速にメール利用は増えている。このような意味での「あって当たり前の道具」としての情報端末の整備は果してできていると言えるだろうか。
問題点をいくつか挙げてみたい。
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情報処理センターは授業でいっぱい
まず,現状では情報処理センターの端末が,学生用の端末となっているわけだが,その90台は教室にある。そして,教室は,ほとんど授業で埋まっている。休み時間は短い。しかも,授業終了後は,17:00以降は閉鎖されてしまう。つまり,実質的に自由に使えるのは,自習用の端末の10台だけなのである。
現在,図書館に5台が設置されているが,このように,自由に使える端末数を増やすことが不可欠である。
端末の管理者
しかしまた,端末の増加は,別の問題を生む。一体,それらの端末を「誰が」管理するのかという問題だ。特に,不特定多数の人が気軽に使えるような場所に置けば置くほど,何らかの不適切な操作等によって,破壊される危険性は高くなる。一方,これ以上の数の端末の世話を,情報処理センターで一手に引き受けるというのは,酷な話だと思う。
やはり,基本的には,それぞれの教室・選修なり,あるいはそれらの集合体としての各部・コース等での管理体制が必要なのではないだろうか。
学生に対する教育
また,不特定多数の学生が使うため,多くの問題が生じているのも事実である。以前のように,限定された学生しか使わない場合には,あまりトラブルは起こらなかった。しかし,ノウハウの欠如とモラルの低下によって,端末が故障したり,授業が妨害されたり,また部屋の利用の仕方が悪くなったりしている。
必要な学生に対しては,最低限度のノウハウを授業あるいは講習会による教育が不可欠な情勢である。
しかし,果して,そのような教育に対する負担は,誰が負うべきなのだろうか。もし,センターが負うべきということであれば,そろそろボランティア的な運営には,限界が来ていることに対する,全学的な認識と対処が必要であろう。
あるいは,やはり,「顔と名前が一致する」程度の小集団の中でないとあまり効果的でないのが普通だから,それぞれの教室・選修(領域)で,「自分たちの学生に関しては責任を持って対処する」ことが必要な時期とも言えるのではないだろうか。
情報化の促進
上記で,学生に対する教育の必要性を指摘したが,限られた時間の中で,一定のノウハウを教授するだけですべてのことが伝わるわけではない。また,様々なことが刻々と変化していくわけだから,学生に限らず,我々教官自身も,常に学習し続けなければないないのが実情である。そのための必要なことは,様々な情報を,ネットワーク上で整備することであり,また,情報化のためのインフラを整備することによって,様々な教官・学生等からの自主的な情報提供・交換を円滑に進めていくということであろう。