1996.11.4, 日本数学教育学会,論文発表会(筑波大学)
テーマ別部会「図形・論証」
コンピュータを利用した数学的探究活動における証明
愛知教育大学 飯島康之
目 次
0.はじめに
1.作図ツールの基本的特徴
2.「証明」の代わりとしての「例示」??
-「探究」ぬきに「測定等による妥当性の検証」を考えることの不毛性-
3.数学的探究の観点から見た作図ツールと証明の関わり
3.1.「証明」の発見には「直接的には」役立たない作図ツール
3.2 「「特定の事実」ではなく,「一定の条件を満たす集合全体」に対する命題」の理解
3.3 証明のための動機づけの道具としての作図ツール
3.4 「問題状況」からの問題の発見の道具としての作図ツール
3.5 「客観的知識」としての数学的命題に「個人的・主観的」な側面を生成する道具
としての作図ツール
(1)「技能」の多様性
(2)「解釈/注目する事実」の多様性
(3)「次の一手/次に考えたい問題」の多様性
3.6 数学的探究における「妥当性の検証」の意味
(1) 問題状況の形成のための手段として
(2) 生徒(探究者)が発見した(答えが未知の)問題に対してアプローチするための手段として
3.7 数学的探究における証明の役割
(1) 推測したことが,正しいことを裏付ける
(2) 推測が正しくない場合,それを示唆し,正しい推測に修正するための手掛かりを得る
(3) 最初は気づかなかった事実の発見のための手掛かり
(4) 一般化のための方向づけ
今後の課題
0.はじめに
今回の論文発表会の発表題目一覧を拝見して驚いた。コンピュータ・グラフ電卓をはじめとするコンピュータ利用に関する発表が急激に増えた。昨年までのコンピュータ分科会での発表数も参加者も少なく,かなりマイナーな印象を感じたのと対照的だからである。果してそれは一過性のものなのか,それとも数学教育が変わっていく前兆なのか。それを見極める一つの指標は,数学教育の根幹に関わる事柄に大きな影響を与えうるかどうかであろう。そういう意味では,「証明」との関わりは一つの大きな指標と言いうる。
図形に限定しても,コンピュータの利用の仕方は様々である。推論そのものをコンピュータにさせる試みもある。しかし,本稿では,作図ツール,つまり図形の作図・変形・測定等を行う代わりに,判断や推論はすべて人間が行うシステムの利用についてのみ検討することにしたい。その大きな原因は,現在,学校の中で使われている図形ソフトの大半が,この種のものであり,また様々な影響を生み出しているからである。
今回の論文発表会の中でも,様々な発表がなされているので,以下の考察だけでは足りない部分もあるかもしれない。本部会が「テーマ部会」であり,その「話題提供」であることから,会場の様々な方からのご意見,ご指摘をいただければ幸いである。
1.作図ツールの基本的特徴
定規・コンパスや紙と鉛筆などの環境と比較して,作図ツールには,次のような特徴がある。
- 問題の図を迅速かつ精確に描画し,測定等を行うことができる。
- 作図,変形,測定,(運動の跡としての)軌跡,(条件を満たす点の集合としての)軌跡など
- 問題の図に関して,インターラクティブな探究が可能である。つまり,次のような活動が可能である。
- 問題の条件を満たすいろいろな場合について,調べてみる。「いつも○○となっている」ことや,そこで成立する関数関係等を確認したり,発見したりすることができる。
- その中で特殊な場合に注目してみる。
- あるいは,一般化してみる。その結果,「この条件がないと成立しない」ことが分かったり,あるいは,より一般的な結果が分かったりする。
- 通常の意味での補助線,つまり証明のための手掛かりとなる幾何的対象を追加し,その補助線が,条件下でいつでも使えることを確かめてみる。
- たとえば,ある点の軌跡を予想し,その集合の候補としての補助線を追加し,予想の妥当性を検証してみる。
- 関連性がありそうと感じた,新たな図形を作ってみる。
もちろん,上記のどれについても,定規・コンパスや紙・鉛筆などの環境でも,原理的には可能である。ある意味では,作図ツールを使った方が,「時間的・労力的に軽減されるだけ」である。しかし,それだけなのだが,実際には,一定の時間・労力等の利用可能なリソースという限定の中で可能なことが,かなり変わるのである。
ソフトの機能面のみを考えると,上記の「1.」しか目につかないかもしれないが,実際には,「2.」の方がずっと大きな意味を持つ。そのことを示すため,まず逆説的に,「1」だけから考えてみよう。
2.「証明」の代わりとしての「例示」??
-「探究」ぬきに「測定等による妥当性の検証」を考えることの不毛性-
作図ツールは,証明の骨格を示すものではない。作図ツールが行ってくれるのは,「正確で迅速な作図・変形・測定」などだけである。そのため,「演示ソフト」としての作図ツールが「証明」の代わりに行えるのは,「測定値」や平行性等の「図」である。
実際,現象として,「目で見る」ことは,とても印象的である。なるほど,そういうことかと納得することができる。たとえば,中点連結定理について,「それはこういうことだ」という現象を目で見せることによって納得するということは,どういう役割を果たすかということが,この観点からは問題になるだろう。そして,それを最も端的に表すのは,
「現象を観察して納得すれば,それを証明の代わりとすることはできないか」
ということになると思われる。
もちろん,この問いが意味を持つような場合もなくはない。証明がなかなか分かりにくい場合などには適切な問いとなるだろう。しかし,証明自体がそれほど難しいものでない場合には,
「分度器で測って調べるのが妥当でないのと同レベルの議論」
ということになってしまうのではないだろうか。
つまり,一般論として,「証明」の代替機能を発揮するものとして,作図ツールを考えること自体,あまり意味がない。それが探究全体の中で,どのような役割を果たしているのかを踏まえなければ,評価はできないのである。
3.数学的探究の観点から見た作図ツールと証明の関わり
3.1.「証明」の発見には「直接的には」役立たない作図ツール
上記のように,作図ツールは,証明に関する思考を代替するわけではなく,作図・変形・測定等しかしてくれない。そのため,これまでの「紙と鉛筆」のスタイルでの証明問題の解決に当たって,作図ツールを使っても必ずしも役立つとは限らない。むしろ,問題が定式化され,補助線などを考える段階では,かえって障害になることさえある。
たとえば,中学校2年生に「星形5角形の内角の和が180°であることの証明」を考えさせる授業があった。授業者が,「補助線を引くために,こういう感じでソフトを使うこともできる」と発言した。授業者は,作図ツールを発見の手段に使わせようという意図があったわけではないのだが,この発言があったため,生徒の大半が,画面を観察し,ソフトを使って補助線を書きはじめた。補助線の発見および,その種類は,紙と鉛筆の場合と比べて,非常に劣るものになった。このような事例は決して少なくない。そのため,「証明の段階になったら,コンピュータの画面を切り替え,使えないようにする」とか,「証明は次の時間に普通教室に移動してから行う」などが,一つの教授方略として確立しているほどである。
このことは,作図ツールを「安易に使う」ことの問題点も示唆していると言える。
3.2「「特定の事実」ではなく,「一定の条件を満たす集合全体」に対する命題」の理解
数学的命題は,特定の事実に関する命題ではなく,一定の条件を満たすすべての場合について述べるものである。たとえば,「四角形の4つの辺の中点を結んでできる四角形は平行四辺形である」という命題は,(たとえば,教科書に印刷されている)ある特定の四角形に関する命題ではなく,任意の四角形に対して成立する。このような側面は,生徒が誤解しやすいものの一つである。通常の指導においても,いろいろな場合を描き,どんな場合にも成立することを強調することも可能であるが,作図ツールを用いる場合には,そのような指導を, それほど労力なく,またほとんどどのような図に関しても,行うことが可能になる。
また,そのような条件を満たす場合のみでなく,ある条件を外すと成立しなくなることなど,関連する様々な例について即座に観察することが可能である。
3.3証明のための動機づけの道具としての作図ツール
作図ツールは,証明そのものは与えてくれないけれども,現象として調べることを可能にするため,証明のための動機づけをするための道具として使うことは可能であり,また有力である。
実際の授業においては,単に「演示する」のみでなく,様々な教授方略との組み合わせの下で使うことが可能である。
実際,より強い動機づけをするためには,生徒自身が予想を立て, 検証し,自分の予想とのズレを発見したり,様々な現象間の関連性を見いだすことや,あるいは,検証の作業の特徴を生かすことなど,様々なことが可能である。
ここで注意しておきたいのは,証明のための動機づけとして作図ツールを使う場合,
「作図ツールの機能をフルに使うことが最善とは限らない」
ということである。
いくつかの例を挙げておこう。
例1:円周角の定理
ソフトの機能を最も発揮する方法は,動点 P を円周上に動きを制限し,点 P が動いても角度が変わらないことを示すものである。しかし,「角度が変わらない」という事実は,「変化するのかどうか」ということを疑問に思っていない限り注目すべき事実にならない。場合によっては, 「 P の動きには無関係なもの」として認識されてしまうことさえある。そのため,むしろ, P の動きは制限せず,円周の近辺での変化に注目したり,角度が一定になる場所をプロットすると円になりそうなことを予想したりする方が,ずっといい。
例2:接弦定理
円周角の定理と円に内接する四角形の性質との関わりで,接弦定理を扱うことがよくあるが,たとえばGeometric Constructorなどでは,円周角の定理などでは,「2点を通る直線」として扱われるものが,接弦定理の場合には,「接線」となるため,「消える」。接線を描いたものをはじめから用意しておくなどの手もあるが,むしろ,「消える」現象をそのまま提示する方法もある。そして,「むしろ,どういう場合を考え,どう扱ったらいいだろうか」と,コンピュータでは扱ってくれない特殊な場合を,理想的にはどういうものとして捉え,どう解釈するといいのかと,数学の世界の中で扱うべき問題として扱うことによって,「コンピュータではできないが,数学でならば扱えるもの」と演出することも可能になる。
例3: PA = PB となる P の集合(垂直二等分線)
たとえば,Geometric Constructorの場合,ABを水平にとり,キーボードで操作する場合には,求める集合は,非常に簡単に求めることができる。しかし,ABを少し斜めにとったり,マウスを使うは事情は大きく異なってくる。どちらが適切な問題状況を生成するかは,授業の目的によって,変わってくるだろう。
例4:条件を満たす点の集合
たとえば,Geometric Constructorの場合,上記のような条件を満たす点の集合を手軽に求める機能として,「条件を満たす点の集合」としての軌跡の機能がある。環境内で数式として構成可能なものについては,実験的に調べることができる。答えが分からない問題について,この機能を使って概形を調べることは,かなり有効なのだが,そういう集合を調べること自体が生徒にとって授業中の中心的な活動である場合には,この機能を使うことが必ずしも適切とはいえない。というのも,生徒がすべきことは,「順序よく画面内の一定の領域で矢印キーを押しつづけること」などの機械的な作業になってしまうからである。むしろ,その機能は使わず,測定値を観察しながら,自分の目でプロットする方が適切な場合が多い。そして,調べた結果を集約することが必要な場合には,事前にディスプレィにTPシートを貼り付け,それを後で「重ねる」方が,授業としてのよさを引き出せる場合が多い。
例5:測定機能
同様のことは,一般に,「測定機能」に関しても言える。それをどこまで使うべきかは,授業の目的と,生徒の作業内容によって,かなり違うのである。「長さの相等」や「平行関係,垂直関係」であれば,むしろ,目や指で確かめさせる方がいい。また,関数関係を調べる場合でも,「数式」機能を用いることもできるが,場合によっては,グラフ用紙を用意し,そこにプロットするようにする方が適している場合もある。
3.4「問題状況」からの問題の発見の道具としての作図ツール
上記の例からも示唆されるように,授業における作図ツールの役割は,
なにが問題かを感じるための道具
と言ってもいい。これまでの問題解決研究において,たとえば,Problem Posing の研究や Situation の研究がされてきたが,作図ツールは文字通り問題を Situation 化するための道具なのである。(マイクロワールドという概念そのものと言ってもいい。)紙と鉛筆という環境の中で,オープンな問いや単なる問題状況として与えた場合には,生徒が何をしたらいいかが分からないような素材(問題)であっても,それを学習可能にしてくれる可能性がより高まっている学習環境なのである。
実際,これまでの研究事例を見てみると,「一つの問題」に限定し,その解決の手段として利用するのではなく,一つの図にいくつかの数学的内容を潜在的に盛り込み,何らかの発問を手掛かりに,生徒が問題を発見している例は少なくない。あるいは,授業中のこだわりが授業後や放課後に持ち越し,生徒が議論を続けている例はしばしばあるし,次の日に生徒が先生に発見したことなどを報告する例もある。
授業中に証明を考える場合,このような「自分が発見した問題」というこだわりは,その仕組みを知りたいという証明への動機づけを高める。しかしまた,それが必ずしもできない場合でも,「問題とは本の後ろ(あるいは先生の指導書の中)に解答が書かれているものだ」という信念を持っているのと,「自分で発見可能なものであり,答えが決まっているとは限らない」という信念を持っているのでは,大きな違いを生み出すことになるだろう。
例6:不可能の証明(四角形の角の二等分線でできる四角形)
(1)「四角形の4つの角に二等分線によって生成される四角形」の問題は,たとえば教科書では,元の四角形が長方形,平行四辺形のときに,それぞれ正方形,長方形になることの証明問題がある。作図ツールを使う場合には,「外がどういう形のときに,中がどういう形になるだろう」という,よりオープンな発問として行うことが可能になる。
(2) そのような発問によって,元の問題だけでなく,より多くの事例を扱うことが可能になる。
(3) このとき,対応表を「その気になって」観察すれば,いくつかのことに気づく。たとえば,多くの生徒が気づくのは,「中が点になる場合が多い」ということだ。これを焦点化すれば,「中の四角形が一点になるのは,どういう場合だろう」という問いへの流れが自然にでき,円に外接する四角形の教材化が行える。
(4) もう一つは,「中にできる四角形の種類は少ない」ということである。このことは,意識化しないとなかなか気づかない。それを刺激するため,ある研究授業では,まず,外の四角形に対して,中にできそうな四角形の予想をたて,作業をし,「予想とのズレ」を焦点化した。その結果,「平行四辺形」や「菱形」,「台形」が「ない」ことが分かった。
それによって,「なぜないのか」という問いが発生する。その後の調べによって,一般に中にできる四角形は,「円に内接する四角形」になってしまうため,たとえば,平行四辺形の場合には,自動的に長方形になってしまうため,「いわゆる平行四辺形」はありえないことが導かれた。このような流れでの生徒の驚きと喜びは,かなりのものであった。
(5) 授業者をはじめ,研究授業の検討会では想定していなかったのだが,「台形はどうなのか」という問いが生徒から自然に発生した。そして,「一般の台形はなくても,等脚台形はあるはずだ」ということに生徒が気づき,実際に画面の中で作ることができた。「そう思えば,作れるんだ」という気持ちが残った。
(6) 授業としては,そこまでで終わったのだが,「どういうときに等脚台形ができるのか」ということにこだわり,自宅でその議論を完結させ,レポートを提出した生徒がいた。
3.5「客観的知識」としての数学的命題に「個人的・主観的」な側面を生成する道具としての作図ツール
数学的命題は,客観的な存在である。あるいは,客観的存在であるように,抽象化・形式化したものが,数学の世界だと言っていい。しかし,探究においては,必ず主体がいる。そして,「問題」がある。自分にとって,それはどういう意味を持つのか,自分はどう判断するのか,によって,個人的知識・主観的な側面が生まれてくる。
このような議論は,「知識論」として,抽象的に行うことはこれまでも可能であった。しかし,実際に,そのような指導場面を生成しようとなると,研究と実践における大きな隔たりを感じざるを得ないのもまた実際であった。
だが,作図ツールを利用するとき,そのような「個人的知識・主観的知識」への手掛かりとなる,「解釈・判断・発見・技能」等が様々な場面で登場する。あるいは,そのような側面を強調した授業の設計が,かなり可能なのである。
(1)「技能」の多様性
たとえば,「5角形を星形に変形しよう」という課題を与えると,一体どういう動かし方をしたらいいのかと,それぞれの生徒がとまどう。そして,いろいろな試みをする中で,5分もすると,まわりで「できたぞ」というような声があがったりする。
図形に対する操作をどのように行うか,という点で多様性が生まれ,「彼(彼女)の」方法が意味を持つようになる。
(2)「解釈/注目する事実」の多様性
同じ図でも,それをどのように捉えるかは,人によって異なる。
例:垂線の足を下ろした三角形
たとえば,次の図(ΔABCのB,Cから対辺にそれぞれ垂線の足を下ろした図)の頂点Aを水平に動かしたとする。少なくとも,次のような注目の仕方がある。
- 相似な三角形
- 二つの垂線の足の交点(E)の軌跡
- AEがつねに垂直( AE ⊥ BC)
- 円に内接する四角形の存在
- 4つの点を通る円の存在
- 垂線の足の軌跡
例:4心の仲間分け
ΔABCの重心,内心,外心,垂心をとる。「この中の仲間外れを探そう」という発問をしてみた。
静的な図では,何を言っているのか分からないが,図を動かしてみると,様子がはっきりしてくる。
これまでの経験では,以下のそれぞれの図から,二通りの分類の仕方が生まれることが多い。また,分類という意味では,2つずつに分けることが多いが,指導者の側としては,3つ(Euler線)の方に注目させたいため,「仲間外れ」という表現をとってみた(もっとよい表現がほしいが。)
探究者にとっては,「それらの中のどれを選ぶか」という受動的な問題ではなく,「どういうことを感じるか」という主体的な問題である。(往々にして,生徒は,教師が想定している枠を越えた反応をしてくれる。)
(3)「次の一手/次に考えたい問題」の多様性
ある図について,同じような探究を行ったとしても,次に何を考えたいかは,探究者によって,かなり変わる。
例:内心の軌跡
ΔABCの頂点AをBCに水平に動かしたとき,内心 I の軌跡を取ってみると,次のような図となる。
ここで,「次に何を考えるか」という手として,次のような選択肢があるようだ。
- 楕円とみて,そうかどうか確かめる(実際には違う)
- 楕円かどうかを判定するために,もっと特殊な場合(AがよりBCに近い場合や遠い場合)を調べる
- 代数的に,どのような式になるかを調べる
- 「自分には手に負えそうもない」と考え,その場ではあきらめる。(何かいい方法が生まれるまで待つ)
- このような「動かし方が悪い」と考え,別の動かし方を探す。例えば,次の図のように,B,Cを通る円上を動かし,Iの軌跡が円(の一部)となる場合を見つける。
3.6 数学的探究における「妥当性の検証」の意味
先に,「2」において,探究という観点を抜きにして,測定等による妥当性の検証の意味を考えることの不毛性について述べた。探究という観点から考える場合,次の二つの観点から考えることが必要であろう。
(1) 問題状況の形成のための手段として
一般に,授業において,クラス全体で問題を共有したい場合には,教師の側で,問題状況を構成するための授業の流れを設計する。どういうところにこだわりを持たせたいか,またどういうところで予想を立てさせ,議論させたいか,あるいはどういう作業をどの程度の時間の中で行わせ,しかも,どの程度の困難さを生成したいかなどを考える。
作図ツールは,様々な使い方をすることが可能である。そのような流れを構成するには,どのような使い方をするのが適切かを考え,それを選択することが必要になる。
そのような授業設計の中で,
証明をどのように扱うか
ということも,教師が検討し,制御する一つの「変数」である。理解が難しいと思われる場合には,「「妥当性の検証」を行わせるだけで,代替する」という場合もあるだろうし,あるいは,「妥当性を検証し,どうも正しそうだということを確認してから,それが正しいことを証明しよう」という流れを構成することもあるだろう。
また,授業は時間が限定されている。証明を行える事例は「選ばなければ」ならない。そういう意味で,様々な事例を調べるときに,全体について「妥当性を検証する」程度で留めておき,その中で,「証明したいものを(教師あるいは生徒が)選択する」というような方法もありうる。
いずれにしても,授業における教育目標との関わりの中での教授方略の検討という次元で検討する必要があるだろう。
(2) 生徒(探究者)が発見した(答えが未知の)問題に対してアプローチするための手段として
生徒に問題の発見を委ねる,あるいは,自分自身で探究をしてみると,いろいろな問題が生まれてくる。考える価値のあるものもあれば,答えのない問題も,また現在の力では解けない問題もありうる。このような場合,測定等によって調べることが可能であれば,答えの概略を知ることができる。そして,考える価値がある問題かどうかを,客観的かつ自分の力で判断することが可能になる。(逆に,そのような手段がないと,たとえば,教師による助言等がないと,どうにもならない。)
また,時には,測定値等によって,「成立することはほぼ正しいが,その証明が分からない問題」というものが生まれることもある。
例:四角形の3角形分割と面積の和
算数の問題で,次のような問題がある。(表現の仕方は少し違う)
長方形ABCDの内部に点Pをとる。このとき,
ΔPAB + ΔPCD = ΔPBC + ΔPDA
また,これを「平行四辺形」に変えても結果は同じという問題が中学校の教科書にある。
さらに一般化してみようということになった。
台形の場合,いわば「中線のみ」になる。証明もすぐにできる。
一般の場合について考えてみることにした。素手では,ちょっと手がでない。
そこで,推測をしてみた。
- 平行線が2組あったら,2次元だった。
- 平行線が1組になったら,1次元になった。
- ということは,一般の四角形では,0次元,つまり1点ではないだろうか。そして,そういう特殊な点ということならば,重心あたりではないだろうか。
実際に測定してみると,「重心」という予想ははずれた。そして,意外にも,そのような条件を満たす点の集合は「直線」になった。
では,一体,どういう直線になると考えたらいいのか,またそれはどうしてかという方向に,探究を進めていくことが可能になった。
例:成立することはほぼ正しいが,その証明が見つからなかった例
このような例はいろいろあるが,その中から2例を挙げる(筆者以外の方によるもの)。
(1) 半径の異なる3つの円のそれぞれの共通外接線を引いたとき,共線関係にある3点が生まれる。
(2) 三角形の内接円の接点と対する頂点とそれぞれ結ぶと,共点関係が生まれる。
3.7 数学的探究における証明の役割
(1) 推測したことが,正しいことを裏付ける
多くの場合はこれに該当すると言えるだろう。つまり,観察等によって推測したことが,果して本当に正しいのかどうかを確かめたいという気持ちから生まれる行動としての証明である。そして,このことは,証明のための動機づけとして作図ツールを利用することと結びついている。
しかし,必ずしもこのような場合のみとは限らない。つまり,「正しいことを裏付けるための行為としての証明」以外に,「発見のための手段としての証明」という役割もかなりある。以下では,具体例のあるものを,いくつか挙げてみることにする。(そういう意味で,包括的なリストとはなっていないが,具体性はあると思う。)
(2) 推測が正しくない場合,それを示唆し,正しい推測に修正するための手掛かりを得る
(3) 最初は気づかなかった事実の発見のための手掛かり
例 : 「4角形の角の二等分線からの4角形」における「等脚台形」ができる場合の発見
これは,前述の例における生徒の「中の四角形は等脚台形になりうる」という事例である。この場合は,「円に内接する四角形になるはずだ」という証明を得ることによって,「台形と円に内接する四角形という条件を組み合わせると等脚台形になるからあるのではないか」という示唆が得られ,発見に至った。
(4) 一般化のための方向づけ
例 : 「四角形の3角形分割と面積の和」の一般化
これも,前述の例の発展である。この問題にあたって,ある先生は,「4角形→正6角形」あるいは「4角形→正8角形」へと一般化した。両方とも,二つの式が等しくなるのだが,少しずつ一般化していくと,その様子がかなり違う。現象だけ観察していてもどうにもならなかったが,対辺の関係との関わりがわかり,証明が得られたことによって,一般化の方向が定まった。
4.今後の課題
論証指導をどう改善していくかということは,かなり前からの懸案の問題である。簡単に解決できる問題でないことは明らかといっていいだろう。しかも,初等幾何自身,現在の数学の体系の中で孤立した領域であることを考えると,「初等幾何における証明方法」としての位置づけだけでなく,より広い観点からの位置づけが不可欠である。
一方,数学におけるコンピュータの利用は,図形領域のみに限らない。また,図形においても,作図ツールのようなソフトのみとは限らない。コンピュータによって得られる様々な情報をどのような扱うか,またその中での証明の役割はどう変わるかということは,図形領域のみならず,数学教育全体に関わる問題と言っていいのではないだろうか。
そのような状況に対して,「数学的探究」という観点,あるいは,「数学的探究がどう変わるのか/どう変えたいのか」という問いは,多くの具体的な研究課題を与えてくれる。実際,「思考の道具の変化」は様々な影響を及ぼすからである。
同時に,様々なケーススタディが不可欠であり,多くの研究者・実践者の協力が不可欠でもある。そしてまた,そのような「思考の道具,つまり学習環境」がいくつもあることを考えると,「一つのソフト」に関する研究ではなく,より多くのプラットポームで共有できる必要があると思う。そのようなインフラを形成し,議論を共有可能にしていくことが,まず必要な第一歩ではないかと思っている。