筑波大学教育学系論集(1987. 前期)

数学教育におけるgeometrizationに関する基礎的考察

筑波大学大学院博士課程  教育学研究科    飯島康之


0.

1.幾何教育再考の視座としての「普遍性」
 1.1 数学教育現代化からの示唆
 1.2 数学的知識の普遍性
 1.3 幾何の知識の普遍性と幾何教育の在り方への示唆

2.プロセスとしての幾何
 2.1幾何の機能
 2.2体系の普遍性の必要条件としてのプロセス
 2.3問題状況において問題を理解するプロセス

3.数学教育におけるgeometrization
 3.1S.Schusterにおけるgeometrization
 3.2数学的モデル化におけるgeometrization
  3.2.1次元1でのgeometrization
  3.2.2次元2でのgeometrization
  3.2.3次元3でのgeometrization

4.結語

注及び引用文献
英文要約

0.序

本稿は,筆者がこれまで研究してきたgeometrizationというプロセス1)について,教育 学的観点からの基礎づけを行うことを目的としている。そしてそれは同時に,幾何教育を ,体系性や演繹的推論以外の観点から考察する基礎を与えることでもある2)。 そのようなプロセスとしての幾何が必要とされる一つの要因は,数学や自然科学におけ る幾何学3)の役割が変化してきたことに伴って,学校教育においても幾何の知識の性格が 変化すべきという点であろう。従来の幾何教育は,数学教育現代化以降後退してきたが4) ,その後退の要因の中に,幾何の知識が変化すべき方向性が示唆されていると思える。本 稿では,幾何の知識の普遍性という概念で,そのような方向性を捉えていく。そして,幾 何の知識の普遍性のとは何かを明らかにし,更にそれはどのような点でプロセスとしての 幾何を要請するかを明らかにすることを試みる。そしてそれに基づき,プロセスとしての 幾何を表現するための枠組みとしてgeometrizationという概念を定式化するとともに,そ れが幾何の知識の普遍性とどのような点で結びついているかを明らかにすることを試みる。

1.幾何教育再考の視座としての「普遍性」

本章では,幾何教育を再考していくための視座の一つとしての,幾何の知識の普遍性を 取り上げる。そして, まず,数学的知識の普遍性とは何か,そして,そのような知識の普 遍性は,幾何の場合にはどのように同定できるのかという2つの問題について,数学史の 例などを基にして考察する。

1.1 数学教育現代化からの示唆

幾何教育は様々な観点からの批判と修正を繰り返してきたが,数学教育現代化の中で指 摘された批判は,学校数学の背景である,社会の文化としての数学の変化, そして数学の 中での幾何学の変化を基にしてなされていることが特徴的である。幾何教育のカリキュラ ムにおけるジレンマの一つは,いくつか考えられる体系のうち,どれを中心に構成するか ということであるが5), その根底には,幾何の知識を「図形や空間に関する知識」として 捉えることに転換を求めようとする意識があると言える。例えば,「図形以外の領域が急 速に現代数学化されていくとき,初等幾何のみが古典数学的, あるいは,19世紀数学的立 場を固守しようとすれば,数学全体から見て, 初等幾何はますます孤立化を深めてゆくで あろう」6)という言葉もそのことを表すものである。 この「孤立化」の要因は, 学校数学全体の性格が変わったという点にある。より抽象的 , 形式的な側面が強くなり,相互関連を強めた中で,幾何がそのままで変貌せずにいれば ,幾何のみが時代遅れのまま,関連性が薄れたままで放置されるということである。その ための1つの課題は,学校数学の中での幾何として扱う体系を変えるという前述の問題で ある。しかし,問題はそれだけで解消されるものではない。体系を変更しようという要請 には,幾何の中で扱う知識の性格の変更を求めることが含まれているからである。そして ,その知識の性格の変更は,体系の変更だけでなく,プロセスとしての幾何の側面にも光 を当て,幾何教育の取り組み方にも影響を及ぼすからである。別の観点から考えると,次 のように言うことができる。もし,文化財としての数学や自然科学の中で,幾何学が時代 遅れのまま,関連性が薄れたものであるならば,学校数学における幾何をそのまま放置す ることあるいは削減することは止むを得ないことであろう。また,数学的体系の規範的な 例としての役割のみが重要ならば,その点についての再考を進めるなり,他の教材による 代替可能性の検討などが必要であろう。しかし,もし数学や自然科学における幾何学の役 割に変化が認められ,それに伴って,学校数学における幾何が「図形や空間に関する知識 」というだけの役割を越えて変化すべきならば,そのような幾何の役割が現れるプロセス , そのような知識の性格を生徒が理解するプロセスを重視していくことが必要になる。 これらの点を明らかにするためには,まず数学的知識の性格がどのような変わったのか ,そして特に,幾何学の場合にはどのような点にその変化が認められるのかを明らかにし ていく必要がある。そこで,本稿では, そのような知識の性格として,幾何の知識の普遍 性, すなわち普遍的な形式に関する知識であるということを取り上げる。まず次節では次 の2つの問題について,数学史の中での幾何学の例を中心に取り上げながら考察したい。 問題1:「普遍的な形式に関する知識とはどのようなものか」 問題2:「幾何の知識は普遍的な形式に関する知識と見なすことが可能なのか」

1.2 数学的知識の普遍性

「数学は形式に関する学問である」というときに,第一に示唆されるのは,「数学は実 在に関する学問ではない」ということ,つまり,それが正しいかどうかを判定する基準と して実在物を参照することは不可能であり,論理的な矛盾の有無などだけで判定すべきだ という点である。しかし,そのことだけで「形式」を捉えると,数学とはただの論理ゲー ムに過ぎないという側面しか生じてこない。数学の哲学の一派としての形式主義は,その ような数学の形式的側面を明確にし,そのような形式性を保証するための条件として,無 矛盾性や有限の立場等を指摘した点は示唆的であるが,そのような知識はどのような点で ,人間にとって価値があるかを述べていない。つまり教育的でないのである。なぜ,実在 から切り離された知識などというものが人間にとって意味を持ちうるのかについて説明し ていないのである。そこで,形式主義は説明していない「形式」の意味を明らかにするこ とが必要である。そのためここでは,(幾何学を中心として)数学史などを素材として, 「 形式」の意味を明確にすることを試みる。 幾何学の大きな転機の一つは,Descartes に始まる解析幾何であるが,それによってDe scartes は「方法」の明確化を行った。つまり,「昔の幾何学者が或る種の解析を用いて おり,それを後世の人には意地悪く隠していたものの,事実すべての問題にひろく応用し ていたことが充分認められる」7)ということに基づき, そのような方法を明確化し,普遍 数学(Mathesis Universalis)として研究すべきことを主張した。例えば, 比例の重要性を 指摘した後に「よって私は考えた。ただそれらの比例を一般的に,なおまた次のようにし ながら研究したほうがよいこと。すなわち,それらの比例の認識をそれがために一そう容 易にしてくれるようなもののうちにでなければ,ここにいう比例を想定せぬようにし,し かもかかる比例をこの種のもののみに決して従属させぬようにする。そうすれば, のちに おいて, かかる比例がおのずから適切にあてはまるような他のすべてのものにそれだけ一 そうよく応用できるから」8)と述べている。 こうした方法ないし原理への注目とその顕在化は,その後の射影幾何学の場合にも見ら れる。たとえば,Ponceletについて,F.Klein は,「『射影すること』と『相反性(Rezip rozit t)とを一貫した幾何学的原理としたPonceletは,それによって『射影幾何』の発見 者であり,創始者となった。この幾何は,従来の相反する事柄を統一しつつ,最高に実り の多い学問への発展が約束された」9)と述べている。また, これについて, E.Cassirerは ,「幾何学的思惟を,与えられた個別的図形の特殊性に杓子定規にこだわる感性的な見方 の狭縊さから解き放つこと」10) と述べている。これらのことは,図形における性質を生 み出す原理およびその手続きを明確に述べるものとしての幾何学の在り方を示していると 言える。 また,空間概念を拡張した一人であるB.Riemann は,『幾何学の基礎をなす仮定につい て』11) で,「n重に広がったもの」12) という概念を導入し,「空間は『三重に広がっ たもの』の特別な場合にしかすぎない」として考えるとともに,「その必然的結果として ,幾何学の定理は一般的な量の概念からは導かれないこと,及び空間と他の可能な『三重 に広がったもの』との区別を示す如き特性は経験のみによって得られることがわかる」と 述べ,幾何学は現実の空間そのものを扱うのではなく,そのモデルを構成していることを 明確に述べている。そしてまた,そこで導入した「n重に広がったもの」という概念は, 現実の空間に対するモデルとしてだけでなく,一見空間とは無関係な物理的対象である色 彩をも表現すること,また,「かかる概念を創り,且つ展開せねばならぬ要求は高等数学 に到ってはじめて頻繁に現れる」と,様々な数学的事象を表現するものであることを述べ ている。 この主張は,幾何学の在り方について次の点を示唆している。第一は,幾何学は「現実 の空間そのものの学問」ではなく,「現実の空間のモデルに関する学問」であるという点 である。第二は,そのモデルに関する学問は,「現実の空間にも適用できるが,他の問題 場面についても適用可能」だという点である。第三は,そのような様々な場面に適用可能 な概念を構成するため,例えば空間概念自体も拡張され,抽象化されるという点である。 このような点は,現在の線型代数の基礎を形成したGrassmann が彼の「広延論」につい て,次のように述べる中で明確にされている13) 。 「わたしの広延論は空間に関する学説の抽象的基礎となるものである。いいかえると, 広延論はあらゆる空間的直観と無関係な純粋に数学的な学問であって,これを空間に応用 すると,ここに空間についての学問ができ上がるといったたちのものなのである。空間に ついての学問とは自然のなかに与えられたあるもの(すなわち,空間) を対象にするもの なのだから,これは数学の一分科ではなく,数学の自然への応用にほかならない」 Riemann やGrassmann の主張するような数学の形式性は,その後20世紀になってから大 きく発展した。その典型例は, Bourbakiの主張した数学的構造である。Bourbakiは次のよ うに述べている。「公理主義的考え方では,数学は要するに抽象的形式, つまり数学的構 造の貯蔵庫のようなものである。そして,その理由はなぜであるかわからぬが,実験的現 実の或る相が,これらの形式の或るものと,まるで前世からの因縁であるかのようにぴっ たり適合するということが起こるのである。もちろん,これらの形式の大部分が,当初は はっきりとした直観的な内容をもっていたことは否定できない。しかし,これらの形式が 潜在的にもっているあらゆる効力が発揮されるようにし,さらに,新しい解釈を受け入れ る余地を作り, 同化の役割を完全に果たせるようにしたのは,まさに,直観的内容からそ れらの形式を意識的に切り離したときからのことである」14) 。そして,Bourbakiの場合 に重要なのは, そこで考えられる形式とは,孤立した一つの体系でなく,いわばネットワ ークとして機能する体系群が重視されるようになったという点である。 以上のことから,第一の問いに対しては,次のように答えることができる。まず,数学 における普遍的な知識とは,様々な事象を生み出す原理を表現し,その手続きを明確にし たものだという点である。そして第二に,普遍的な知識とは,その形式の潜在的な応用に 備え,新しい解釈を受け入れる準備を整えている点である。そして第三に,そのために実 在による束縛から解放するため,公理から論理的な推論によって構成された体系となると いう点である。そして第四に,それらは一つの体系として機能するのでなく,それぞれの 体系のネットワークが重要になるという点である15) 。

1.3 幾何の知識の普遍性と幾何教育の在り方への示唆

さて,このように,数学の他の領域と同様に,幾何学も,より普遍的な形式を扱うよう になってきたとみなすことができるが,Grassmann の「広延論はあらゆる空間的直観と無 関係な純粋に数学的な学問であって,これを空間に応用すると,ここに空間についての学 問ができ上がるといったたちのものなのである」という言葉に示唆されるように,幾何学 という言葉の意味について再考することが必要になってくる。つまり,幾何学がより普遍 的な形式を扱うようになったことは問題2に対する積極的な根拠を与えるのであるが,同 時に, 「今日, 幾何学と呼ばれる, 比較的独立した, 純粋数学の一分野が存在すると考え るのは,理にかなっているか?」16) という,A.Revuzの問いを生む。この問いに対する答 えは様々であろう。例えば,Revuz 自身は,「数学者として,私ははっきりと答えるであ ろう,ノーと。しかし,もし幾何は教えられなければならないかと聞かれれば, イエスと 答えるであろう。」と答えている。また,一見対極的なものとして,次のFehrのような考 え方もある。「今日, 幾何学は空間について研究する学問と定義されなければならない。 すべての幾何学は(集合, 構造) という順序対である」17) 。一方は存在を否定し,一方 は存在を肯定するという点で,一見矛盾するかに見える2つの考え方も,よく考えると共 通した考え方に基づいていることがわかるであろう。まず,Fehrの考え方について考える と,数学はすべて,ある構造を持った集合に基づいて構築されているのであるから,空間 を研究する学問とは, つまり数学全体に他ならない。それは,比較的独立した, 純粋数学 の一分野として幾何学を考えることを否定し,純粋数学全体に浸透しているものとして幾 何学を捉えようとする立場と言える。一方Revuz の場合においても,独立した, 純粋数学 の一分野としての幾何学は否定しているが,それはより普遍的な体系としての数学に発展 したと捉え,だからこそ,教育の対象としての幾何の重要性を認めているのである。 以上のことに基づくと,少なくとも教育の観点から幾何学を見る場合,比較的独立した , 純粋数学の一分野として幾何学を考えていくよりも,数学全体に浸透し,より普遍的な 体系の中で定式化されるものとして幾何学を捉えていく方がより多くの教育的示唆を与え ることがわかる。このことは,問題2に肯定的な答えを与える。そして,このことは,幾 何教育を,少なくとも, そのようなより普遍的な知識へと発展すべきものを扱う教育とし て考えていかなければならないということを示唆する。 ここで,次の問題が生じる。すなわち,端的に表現すると, 問題3:知識の普遍性を教授するためにはどのようなことが必要か 問題4:幾何教育の問題は知識の普遍性の問題だけで解消するのか という問題である。この問題に対しては,様々な観点に基づく,様々な考察が可能であろ う。例えば問題3について考えると,本稿においても,問題1の答えとして,知識の普遍 性の特徴として4つを同定したが,それらのどの側面を強調するかによって,この問題3 に対する考察は変わるし,それ以前に,どのような認識論的な立場に立つかによって,様 々な考察が成立しうるからである。 本稿では,この問題に対して,プラグマティックな観点から,幾何の知識の使われ方に 注目したい。すなわち,普遍的な知識の特徴の第二点として,形式の潜在的な応用に備え ,新しい解釈を受け入れる準備を整えている点を指摘したが,そのような新しい解釈の可 能性を生徒が見出していくことに注目したい。そのような解釈の可能性について考えるた めには,幾何の知識が,いわゆる現実の空間に関する問題以外とどのような関連を持って いるか,つまり幾何がどのような機能を果たしているかに注目する必要があろう。このよ うにして,知識の普遍性との関連で幾何の機能を問い直すことは,プロセスとしての幾何 に対して,次のような観点を与える。まず第一には,より広い範囲の応用に目を向けるこ とを示唆するが,同時に,第二に,幾何が応用された結果だけでなく,応用するプロセス そのものに注目することを示唆する。そして第三に,形式の潜在的な応用に備え,新しい 解釈を受け入れる準備を整えているものとして,生徒が幾何を捉え,そして概念を構成し ていくプロセスに注目することを示唆する。幾何の知識をより普遍的なものとして考え, その特徴を教育に反映するためには,今までよりも幾何のどのようなプロセスが重視され るべきなのかを考察するため,まずこの3つの観点から幾何のプロセスを捉えて,問題3 を部分的に解決していきたい。また同時に,そのようなプロセスについて検討する中で, 知識の普遍性以外の問題も浮かび上がってくるであろう。そのような観点から問題4につ いて考察していきたい。

2.プロセスとしての幾何

前章において,幾何の知識の普遍性に注目することは,プロセスとしての幾何の側面を 再考することを示唆することを指摘した。そこで,普遍性に注目すると,どのようなプロ セスが強調されるかを明らかにするため,まず幾何の機能を概観し,それを普遍性の観点 から見ると,どのような点が強調されるのかを明らかにして,それによって問題3,4の 解決を試みる。

2.1 幾何の機能

ここでは,まずZ.Usiskin による,幾何を4つの次元によって捉えていこうとする考え 方を取り上げる。そして次に,普遍性の観点から見直した場合,それぞれの次元のどのよ うなところに焦点が当てられるのか,またそれぞれの関連性の中で,どのような点に注目 するものかを明らかにしていく。 Usiskin は,幾何のジレンマを解消するための一つの手段として「幾何を概念化する様 々な仕方を,カリキュラムの観点から分析すること」18) を提案し, 幾何を捉えるための 次元として, 次のものを挙げている19) 。 次元1:視覚化(visualization),作図(drawing) そして図の構成としての幾何 次元2:現実の,物理的世界の研究としての幾何 次元3:その源が視覚的, 物理的でないような,数学的ないし他の分野の概念を表現する ための手段としての幾何 次元4:数学的体系の例としての幾何 この次元4はこれまでの幾何で中心的な役割を果たしてきた。1章の議論に基づくと, 次元4の意味の再考も示唆されるが,「幾何の学習を次元4があまりに支配してきたこと が我々のカリキュラムの弱点である。より大きなバランスが必要なのだ」20) とUsiskin は指摘しているように,特に今後の幾何の在り方を考えていく上では,他の次元について , より深く考察することが重要である。そこで,ここでは他の3つの次元の議論を中心に して考察を進める。 次元1についてUsiskin は, 次のように述べている。「初期の学年において,我々は子 供達に円や長方形や平行線を描きなさいと言う。後に様々な変換, 鏡映, 回転, 拡大縮小 などによる像を描きなさいと言う。『機械的作図(mechanical drawing)』のコースを取っ た学生は多くの幾何を学ぶが,そのほとんどは数学のカリキュラムに入っていない。」21) このことは,図を作図すべき対象として扱い, その作図の手続きを明確化したり,逆に その手続きから概念について考えることなどがあまりに少ないことを示唆している。特に コンピュータが発達し,LOGOのように作図の手続きさえ明確化すれば様々な図を描き出す ことが可能になっている現在, この次元の重要性は増している。例えば,(次に述べる次元 2から出発したと言える)フラクタル図形の場合でも,自己相似な図形を構成する手続き を明確にすることにより,様々なフラクタル図形を生み出すことができ,またフラクタル という概念事態について考察する手掛かりを与えている。そのような作図などとの関連性 が次元1として捉えられる。(なお,この次元は図を作図する手続き的知識の問題だけで はない。そのことは次の節で考察する。) 次に次元2について考えよう。Usiskin は「幾何は物理的な世界から発展したものであ るにもかかわらず,その世界との関連は,〔アメリカの〕小学校教科書において,比較的 無視されている」22) と述べている。実際, 物理的な状況と幾何との結び付きは,幾何学 の出発点であった測量だけにあるわけではない。Usiskin も指摘するように,最近の顕著 な例としては,Mandelbrotによるフラクタルという概念は,この次元のよい例である。ま た,それ以外でも,次のような様々な問題が示すように,物理的空間と幾何との関連は, 様々な方面にわたっている。 ・三日月はどのような曲線でできているのか ・望遠鏡はどうして遠くのものを大きく見えるようにしてくれるのか ・鏡に写る顔は上下が変わらず, 左右が反対になるのはどうしてか。 もし鏡の前で横になったらどうなるのか。 ・それぞれが縄張りを作るような魚が何匹かいるとき,それぞれの縄張りはどんな形に なるのか 次元3は,幾何の普遍性が直接関連する次元である。つまり,次元2は,物理的状況の 中ですでに与えられている「形」について考えるのに対して,次元3は元々は「形」とし て与えられていないものについて,視覚的に「表現」することを媒介にして考えるものだ からである。数学的な概念との関係では,初等的な例としては,数直線がまず挙げられる 。また,ある数の約数の個数を数えるときに,それらの約数を長方形や直方体などの配列 にして表現し,その構造をわかりやすくする例などが挙げられる。また,より高度な例と しては,関数全体の集合に積分を媒介として長さや内積,関数同士が「直交」しているこ となどを定義して,Rn を拡張した無限次元の空間として捉え, それらの構造を明確にし たり,またそれによって関数の積の積分を容易にしたりすることなどがある。 数学以外の例は,上に示した4つめの問題の解決として,3.2.2 で挙げる。 さて,以上の各次元を普遍性という観点から考えてみよう。まず第一に考えられるのは ,次元3の重要性である。次元4を「現実の空間に関する知識を厳密に述べたもの」とし て捉えるならば,次元3を考えること自体意味がない。次元3は現実の空間とは無縁だか らである。従って,次元3を考えることは,次元4をより普遍的なものとして考えること によって可能なのだが,同時に,そのことは次元1を再考すべきことを意味する。つまり ,次元3は,元々は「形」として与えられていないものについて,視覚的に「表現」する ことを媒介にして可能になるものだからである。換言すれば,次元3に積極的に取り組む ためには,それを可能にする要因の一つとして次元1が必要になるということである。次 元4を「現実の空間に関する知識を厳密に述べたもの」として捉えた場合,次元1は,次 元4という理想的な状態の中で指摘された状態を,現実の平面上などに実現する方法とし ての作図などが中心になるが,普遍性という観点から考えると,視覚化という点で,次元 1の機能を再考することが必要になるのである。 また,次元1,3を上のように捉えることは,次元2の意味を再考することを示唆する 。次元2の場合は,もともとの物理的状況から「形」が与えられるため,次元3の場合と は事情が異なる。しかし,次元4は「現実の空間に関する知識を厳密に述べたもの」でな く,より普遍的な形式として理解すれば,物理的状況から生じた問題であっても,そこへ の知識の適用には,探究者の能動的な側面が必要になることが示唆される。また,次元4 を,より普遍的な,様々な体系として理解するならば,問題状況に応じた体系の選択や, 問題状況からの体系化などが,より重要なプロセスとして再認識されることになる。 このような状況を明確に表現する言葉は,モデル,そしてモデル化という言葉であろう 。すなわち,幾何の知識は,現実の空間そのものに関する知識でなく,現実の空間などに 対するモデルに関する知識であると捉えると,次元2,3の問題は,モデル化の過程とし て,探究者が問題状況と形式との結びつきを能動的に生み出す過程として捉え直すことが できるのである。

2.2 体系の普遍性の必要条件としてのプロセス

以上の考察は,問題3に対する手掛かりを与えている。つまり,知識の普遍性の教授に 関して,その十分条件を与えることは不可能にしても,いくつかの必要条件を与える。 まず第一には,適応範囲が広がることによって,知識は更に発展する契機を与えられる という点で,応用はいわゆる純粋な数学的知識にとっても発展の原動力を与えるという点 である。この点についてはDewey の次の言葉が示唆的であろう。「時折言われるところの 『応用』科学こそ伝習的にそう呼ばれている。純粋 (理論) 科学よりもかえって真の科学 かもしれない。なぜなら,応用科学はただ知識の道具性に関心するものではなく,反省的 に望まれた結果を得るために存在の改変を活視することに働いている道具性にこそ関心を 持つのである。」23) そのような要因の一つは,たとえば,知識をより普遍的なものにす る理由を,「より多くの新しい解釈の可能性」に求めることができる点にある。この点で ,適応範囲の広さは,知識をより普遍的なものへと発展させる契機を与えている。このこ とはまず,より広い範囲の応用に目を向けることの意義を支持している。 そして第二には,「形式」の普遍性を支えている「新しい解釈の可能性」を能動的に探 究者自身が探る活動が不可欠だという点である。そして,生徒が知識の普遍性を獲得する ためには,学習者自身がそのような「新しい解釈の可能性」を行うことが必要であるとい う点である。普遍的であるということは,その形式が様々な場面で使えるということであ る。そして,そのような新しい解釈が可能であるようにするため,実在による束縛から解 放されるように,公理主義的方法によって体系は展開される必要がある。しかし,そのよ うな新しい解釈を見出すのは探究者の能動性によらなければならない。それを生み出す活 動なしに,新しい解釈の余地がないのならば,そこで学習された知識は,ただ形式的に展 開された,現実の空間に関する厳密な知識と何の変わりもない。そのため,そのような解 釈を生み出すための活動として,それをモデルとして使っていくプロセスが意味を持つこ とになる。そしてそのためには,より広い範囲の応用に目を向けることと同時に,応用の プロセスそのものを生徒が学習することを支持するものである。 第三に,ある問題状況の表現をより精密に扱うことにより,概念自体の拡張が促される ことがあるという点が挙げられる。そしてその拡張は,より様々な状況を表現しうるよう りなされていくため,知識の普遍性をより高めていくものと言える。幾何に関連した典型 的な事例は,M.Atiyahが例示したように24) ,物体の運動を記述するという単純な目的の ためにおいてさえ,R3 では不十分になり,その目的に応じて, R6 や連続関数の空間な どが,自然な形で必要とされるようになることであろう。これは,空間概念を拡張してい く契機として,「応用」が重要な役割を果たしうることを支持するものである。このよう な概念の拡張のプロセスを生徒が知ることは,形式の潜在的な応用に備え,新しい解釈を 受け入れる準備を整えているものとして,生徒が幾何を捉え,また,そのようなものとし て概念を構成していくことをより積極的に支持するものであろう。

2.3 問題状況において問題を理解するプロセス

前節において考察したのは,主として使われる立場としての「体系」の観点からのもの であった。そのような考察は, いわば「科学の客観的に妥当な諸命題と<思惟の能動性> の間とに想定される関係」25) を問題にしているという意味では,プラグマティズムの観 点からの考察と捉えることもできる。また,同時に,図が使われている問題解決の過程に 注目するならば,問題の理解や解決の洞察を促したり,前述の幾何の機能の次元2,3へ の出発点としての視覚化が重要な役割を果たしていることが示唆されるのである。 そのような点は,「多くの数学者は,彼らの数学的直感は幾何的な視覚化などによって 導かれたということを告白している」26) という指摘や,「現代の代数や解析における幾 何的な言葉使いはすべての数学に幾何的な直感が浸透していることを示している」27) と いうような形で指摘されてきた。 このような観点から,視覚化の機能を考え直してみると,どの次元の場合であれ,視覚 化する,つまり図に表すということは,問題解決における重要な手段になっていることが わかる。しかし,この単純な「図に表して考える」ということには,単に目に見えるよう にして分かりやすくするという以上のものが含まれている。視覚的に表現することによっ て,元の問題を幾何的な観点から理解し,その構造を捉え, 解決する契機を与えている。 また,そのような点は,問題解決の一手段としてのことだけではない。例えば,M.Otte は学校数学のおける2つの表現体系として算術的な表現と幾何的な表現があることを指摘 した後で,「特に, 代数はグラフ的な視覚化なしにはできない(たとえば,代数学の基本 定理は,本質的に幾何的な概念化の道を辿らないかぎり証明できない)」28) と指摘し, 「学校数学の代数的な特徴が伝統的に多くの困難を生じてきたことは,視覚的, グラフ的 な体系と,それに結び付いたモデル化の概念の潜在力に十分気付いていなかったことによ る。視覚化の重要性は,すでに指摘したように,概念が,実体でなく関係性を再生産する こと,それら自身が関係的な構造におけるノードであること,それゆえそれらの表現は非 線型的に並置しなければならないという事実に結び付いている」29) と述べている。 このように考えてみると,1.3 での問題4,つまり幾何教育の問題は知識の普遍性の問 題だけで解消するのかという問題に対しては,プロセスとしての幾何の側面に注目しなけ ればならないという点が浮かび上がってくるのである。そして,プロセスとしての側面に は,今までの考察から,知識の普遍性のための必要条件としてのプロセスと,問題の理解 としてのプロセスとが存在することが示されるのである。

3.数学教育におけるgeometrization

本章では,これまでの問題1-4 に関する考察から明らかになった,知識の普遍性のため の必要条件としてのプロセス, また問題の理解としてのプロセスを表現するための概念と して,geometrizationという概念を取り上げる。

3.1 S.Schusterにおけるgeometrization

2.3 での考察を基にすると,プロセスとしての幾何を表現する概念としては,視覚化(v isualization) を有力な候補と考えることができる。しかし,視覚化は主として問題の理 解に関与するものであり,知識の普遍性の必要条件としてのプロセスの観点から考えると ,いわば次元2,3の出発点に相当する。換言すれば,視覚化は次元2,3のための必要 条件ではあるが,それ以降のプロセスを含むものでなければ,両方の観点を反映しようと いう当初の意図を実現してくれない。一方,図に表した後のプロセスまでの視覚化に含め ることは,かえって視覚化という概念を狭いものにし,視覚化という概念自体の良さを損 なうことになろう。そこで,図に表した後のプロセスまでを表現する枠組として,geomet rizationという概念を取り上げる。 このgeometrizationという概念を,1971年に,S.Schusterが応用の観点から取り上げて いる。彼は幾何の結果の応用だけでなく,幾何的な概念化をも重視すべきであると主張し ,この幾何的な概念化をgeometrizingと呼び, 次のように述べている30) 。 「 (公理主義の過度な強調に伴って, 筆者注) 軽視されているのは,幾何の応用だけで ない,幾何的な概念化の仕方も軽視されている。geometrizingは,数学者にとっても応用 科学者にとっても,非常に強力な道具である。それは力学, 電気回路理論, 熱力学, 生態 学, 関数論など,ほとんどの分野において生じる問題について,洞察を得たり, 直観的な 理解を得たりする道具である。しかし,物理現象のgeometrizationの訓練は,現在の幾何 教育においては, 全く欠如しているか,ないしはほとんど存在していない。」 Schusterが,geometrizationとして挙げている例は物理からのものが多い31) 。例えば ,鏡を使う遊戯活動による,光学と力学の問題の幾何学的解釈による,物理的概念の抽象 化とか,速度を面積として解釈していく例とか,初等的組み合わせ論的問題のグラフ理論 的解釈などである。

3.2 数学的モデル化におけるgeometrization

Schusterによるgeometrizationの概念は,幾何の結果の応用だけでなく,幾何的な概念 化というプロセスを扱っている点が特徴的だが,そのプロセス自体を考察していくための モデルが与えられていない点と,視覚化の過程などがあまり考慮されていない点が不十分 と思える。そこで,まず,このSchusterの概念を拡張し,「問題状況を視覚化し,幾何的 な概念化によって解決するプロセス」としてgeometrizationを定義する。 2.1 で指摘したように,幾何の知識の普遍性と,そのための必要条件としてのプロセス を扱っていくために適した概念は,モデル及び数学的モデル化という概念である。そのた め,geometrizationを,次のように図示される,数学的モデル化過程32) として扱い,よ り分析的に扱っていくことにする。ここにおいては,視覚化は,定式化の一部の過程とし て捉えられている。 +−−−−−+ +−−−−−−+ |現実の世界+−−−−−−→|数学的モデル| +−−−−−+ 定式化 +−−−+−−+ ↑ 単純化・理想化 | 解釈| 近似・仮定の設定 |数学的 評価| 記号化・形式化 |作業 比較| +−−−−−+ | +−−−+数学的結論|←−−−+ +−−−−−+ この数学的モデル化過程によって表現される主な特徴は,サイクルを回りながら, モデ ルを修正していく過程である。そのため,geometrizationを考察していく一つの重要な観 点は,ここに表されているサイクルのどこまで,geometrizationが関与しているかという ことである。この観点から,筆者は次の三つのphase を設定した33) 。 α: 主として定式化の過程に関係する β: 定式化・数学的作業の過程に関係する γ: サイクルを回り, 新たなモデルを作る過程にも関係する ここで,αとは,視覚化によって,ほぼ問題が直観的に解決されてしまう場合であり,β やγになるに従って, 数学的モデル化過程としての意味が強くでてくることになる。 また,もう一つの観点は,特にγに相当する事例の場合,修正されるモデルに対して, その普遍性がどのような点で要請されるのかということである。 geometrizationは,幾何の次元(1-3) のどれに相当するかに応じて, それぞれを3つの 局面として捉えることができる。以下ではそれぞれについて考察することにする。

3.2.1 次元1でのgeometrization

この次元では,図の構成以外に,作図(drawing),視覚化が含まれているため,他の次元 での,初等的なものとかなり共通する。文章題解決などでその状況を図示することによっ て理解し,解決する場合の多くがそうであろう。しかし,その中で,作図(drawing) の仕 方の修正や,それに関連した図形概念が問題とされて,βやγに相当するものは,この次 元に属すべきものと考えてよいであろう。例えば, 問題: 5人の委員会で,週番として2人を選ぶことにした。何通りの選び方があるか。 という問題で,平面上に5個の点をとり,点で人を表し,点を結ぶ線分で週番のペアを表 して,それらの線分の数を数えるという場合は,次元3として解釈できるが,人数が増え ると,作図自体をうまくしなければならなくなる。そこから,円周上に表現すればよいこ ととか,うまく表現できる図形として凸集合に注目することができるようになる。 ここで生じてくる円あるいは凸集合という数学的概念は,単なる図形の分類のための概 念ではない。上記のような問題を解決する際の表現する手段として考えた場合,それを保 証するものはどのようなものかという問いに答えるための概念である。そのように,表現 の手段としての図の特性を考える点は,幾何の知識に普遍性を要請する一つの要因である。 又,次の例のように,複雑な図の配置を,結果を保存するような変形を見出すものも, この次元でのγに相当すると言える。 問題:平面上に10個の円を描いて平面をできるだけ多くの部分に分割したい。最大いく つに分割可能か。 円が3つまでは簡単に数えられるが,それ以上では難しいため,次のように変形して数え 上げる。 〓枠01〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓 〓 〓 〓 〓 〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓 この場合にも,円による平面の分割という,作図(drawing) に対して, どのような配置 ならば,パターンがより見出しやすくなるか,またこの問題の解決を与えてくれる変形と してどのようなものが可能なのか,そのときに保存されるべき図形の性質は何なのか, と いう問いが付随している。このように,ある図と同じ性質を持った図の集合を考え, それ らの集合を生み出す変形の仕方を考え, そしてその集合に共通な図の性質を明確化するこ とは,幾何の知識に普遍性を要請する一つの要因である。

3.2.2 次元2でのgeometrization

この次元でのgeometrizationは,物理的状況から与えられた「形」を出発点にしている という点が他のものと異なっている。この次元でのgeometrizationには,次のように,事 象のgeometrizationと定義した34) 。すなわち,「物理的現象について,その位置・大き さ・形などだけを抽象し,他の要因を無視して幾何の問題として扱い,解決を図る過程を 事象のgeometrizationという」。 この事象のgeometrizationの場合, いわゆる数学的モデル化過程論で取り上げられるよ うな,モデルの修正が生じる例が多いそのような例としては,次のものが挙げられる35) 。 問題:日食のとき,部分食が始まってから終わるまでどれくらい時間がかかるか。 という問題に対して,次のように考慮する要因を増やしながらモデルを修正する。 1.太陽, 地球を固定し,月だけが動くモデルを考えて,月がaからbの状態になるまで の時間を求める。 2.1 の他に地球の自転を考慮する。 3.1,2 の他に緯度によっても変化することを考慮する。 このような例は,自然現象を理解していく手段としてのモデル化の機能を提示する。 一方, 現象に対する仮定の設定により,新しい図形概念を要請する場合もある。その典 型的な例は,石鹸膜の問題に対する極小曲面という概念36) であろうが,初等的な例でも ,次のような例が考えられる。 問題:それぞれが縄張りを作るような魚が何匹かいるとき,それぞれの縄張りはどんな 形になるのか この問題に対して,どの魚も同じ力関係で,縄張りが重なるところは,一番近い魚の縄張 りになると仮定する。すると,魚が離れているときは,それぞれの縄張りは円と考えられ るが(1),近づくにつれ,縄張りが接し合い(2),最終的には(3) のようになる。 このとき,この仮定に基づけば, どのように境界線を作図すればよいかが問題になる。 そして魚の配置がわかれば,それぞれの縄張りを作図する方法, 及び, 点の配置から作ら れる平面の分割が幾何の知識として要請される。このような図形の場合, 現象に対する仮 定から生じてくるため,その仮定をより抽象的に表現できれば,他の現象においても,同 じような仮定が設定できるなら,その現象を理解していくための手段になりうることがわ かる。このような,現象に対する仮定とそれによる図形の構成は,幾何の知識に普遍性を 要請する一つの要因である。 なお,事象のgeometrizationの場合, 次の問題のように,解決は伴いにくいが,その問 題の面白さを楽しむに値するものも多い。実際, 自然現象の中には, まだまだ解明されて いないが非常に興味深い形が豊富にある。そのような様々な現象を意識する目を養うこと は, 教育的に非常に重要なことであろう。 問題:三日月はどのような曲線でできているか。 問題:打ち上げ花火はどこから見ても円に見えるが,空間の中では球の形をしていると 言ってよいか。

3.2.3 次元3でのgeometrization

この次元でのgeometrizationとしては,初等的な例としては,数直線や線分図の利用な ど,様々なものがある。それらは,前述のOtteが指摘した, 学校数学のおける2つの表現 体系として算術的な表現と幾何的な表現との関連性を考察すること,そして「視覚的, グ ラフ的な体系と,それに結び付いたモデル化の概念の潜在力」について考察する上で重要 であろう。 また,中等教育以上での例を見ると,例えば, 速度を面積として解釈するような場合, 最初に数式モデルが与えられていて,それを幾何的に再解釈する場合がよくある。そこで 筆者は「必ずしも幾何の問題ではないものの解決において,すでに数式モデルは得られて いるものを,R2 などに表現することで幾何的に扱える場合もある。そのような場合を数 式のgeometrizationと呼ぶ」と定義した37) 。数式のgeometrizationの例として,筆者が 取り上げたものは次の問題の解決である38) 。 問題: 一直線上を運動する2質点の衝突において,エネルギーが減少するのはなぜか この事例の場合,質点の重さが等しくない場合を考えるとモデルの修正が必要になる。 つまり,質量が等しい場合は,エネルギーの評価を平面上の長さの比較によって行えるが ,質量の異なる場合について考察を広げるためには,長さの比較を維持しようとすれば座 標変換が必要とされ,座標をそのままで使うためには,長さによる比較をエネルギーの等 高線による比較に変更することが必要とされる。質量が同じ場合に妥当であった解釈を, 適用場面を拡張するために,それまで利用していた「長さ」という数学的概念よりも普遍 的なものが要請されたり,「長さ」による考察はどのような変換のもとで不変な性質なの かを明らかにすることが要請されるのである。 一方, そのように解釈を進めていくことは,元の物理的現象を幾何的に概念化すること でもある。例えばこの事例の場合であれば,衝突という現象がR2 の一次変換として解釈 できること,そして反撥係数は,この一次変換の固有値(-e と1)として解釈できることで ある。そして,そのような様々な解釈の可能性が豊富なものとしての数学的知識の在り方 を要求することは,まさに数学的知識の普遍性を要請する大きな要因なのである。

4.結語

本稿においては,幾何教育の再考という問題に対して,これまでの幾何教育の一つの大 きな柱であった,体系性・演繹的推論という観点から離れた解決を試みた。そのため,体 系に要求される普遍性を明らかにする(問題1)と共に,幾何の知識にもそのような普遍 性が同定できること(問題2)をまず示した。そして,幾何をより普遍的なものとして扱 っていくことは,幾何教育の取り組み方自身に変更が要請されることを述べ,まず,普遍 性を引き出すための必要条件としてもプロセスとしての幾何が必要とされることを指摘し た(問題3)。一方,幾何の機能を分析してみると,問題の理解において視覚化が重要な 役割を果しており,それは知識の普遍性と相補的な性格を持っていることを示した。そし て,この両者により,プロセスとしての幾何を考察していくことが必要なことを示した( 問題4)。更に,そのようなプロセスを表現するための枠組みとしてgeometrizationとい う概念を取り上げると共に,数学的モデル化の観点から考察し,各次元ごとに,どのよう なモデルの修正があるのか,またそのモデルの修正は,幾何の知識に対してどのような点 で普遍性を要請するのかを明らかにした。以上の考察は,幾何教育の捉え直しという問題 に対して,普遍性への着目によって,プロセスとしての幾何の重視を導くとともに,筆者 によるgeometrizationの研究に対して,教育学的観点からの基礎を与えている。児童・生 徒の具体的な問題解決過程を分析し,指導の在り方を考察していく点は今後の課題である。

注及び引用文献

1.拙稿「数学教育におけるgeometrizationについて」数学教育学論究, vol.47・48(1987) pp.27-30 2.拙稿「数学教育における幾何の位置に関する一考察」教育学研究集録,vol.8(1984), pp.83-92 3.本稿では,幾何学は学問としての数学の一領域を指し, 幾何は学校数学における一領域 を指す。 4.J.Dieudonn `New Thinking in School Mathematics' in OECD "New Thinking in Schoo l Mathematics",1961,pp.31-49などが代表的である。 5.阿部浩一「幾何教育の混迷」大阪教育大学紀要, vol.16(1967), 第V部門,no.1,pp.109 -123 NCTM 36th Yearbook,"Geometry in the Mathematics Curriculum",1973, Part II 6.阿部浩一 Ibid.,p.110 7.Descartes 『精神指導の規則』, 岩波文庫, 野田又夫訳,1950,p.25 8.Descartes 『方法序説』, 岩波文庫, 落合太郎訳,1959,p.31 9.F.Klein "Vorlesungen ber die Entwicklung der Mathematik im 19. Jahrhundert" Teil 1 und 2, Springer, 1979 10.E.Cassirer 『実体概念と関数概念』みすず書房, 山本義隆訳,1979,p.93 11.B.Riemann 『幾何学の基礎をなす仮定について』, 菅原正巳訳, 清水弘文堂,1970 12. 現代的にはn次元多様体を指す。局所的にRn と同じ構造を持つ空間のことであり, Rn を一般化した概念である。現代との関連等については,M.Spivak "A Comprehensive Introduction to Differntial Geometry",II,Publish or Perish,pp.4B1-4B38 を参照 13.E.Nagel `The formation of modern conceptions of logic in the development of g eometry', Osiris, vol.7(1939),p.172 での引用による。 14.N.Bourbaki 「数学の建築術」,F.Le Lionneais(ed.)『数学思想の流れ』vol.1,東京図 書,1974,p.48 15.S.MacLane `The Mathematical Network',in "Mathematics Form and Function",Sprin ger,1985,pp.409-456 16.A.Revuz `The Position of Geometry in Mathematics Education' Educ.Stud.Math. vol.4(1971),p.48 17.H.F.Fehr `Geometry as a Secondary School Subject' in NCTM, 36th Yearbook, p.373 18.Z.Usiskin `Resolving the Continuing Dilemmas in School Geometry', in NCTM 87 Yearbook,"Learning and Teaching Geometry,K-12",1987,p.26 19.Ibid.,pp.26-27 20.Ibid.,p.28 21.Ibid.,p.26 22.Ibid.,p.27 23.J.Dewey『経験と自然』春秋社, 帆足理一郎訳,1959,p.130 24.M.Atiyah `What is geometry', Math.Gazette, vol.66(1982),pp.179-184 25.E.Cassirer, op.cit.,p.371 26.D rfer and McLone `Mathematics as a School Subject',in Christiansen et al. (ed.)"Perspectives on Mathematics Education", D.Reidel,1986,p.71 27.H.Freudenthal "Mathematics as an Educational Task",D.Reidel, 1973,p.39 28.M.Otte `What is a Text?',in Christiansen et al.(ed.),op.cit.,p.192 29.Ibid. 30.S.Schuster `On the Teaching of Geometry A Potpourri', Educ.Stud.Math. vol.4(1 971),pp.76-86 31.S.Schuster `An Evolutionary View', in NCTM 37th Yearbook(op.cit.) 32. 三輪辰郎「数学教育におけるモデル化に関する一考察」筑波数学教育研究,vol.2(198 3),pp.117-125 33. 拙稿 op.cit.(1987),p.28 34. Ibid. 35.Spode Group "Solving Real Probrems with Mathematics",CIT Press,1981, pp.57-65 36.R.Courant,H.Robbins「数学とは何か」岩波,1966,pp.396-407 37. 拙稿 op.cit.(1987),p.29 38. 拙稿「数学的探究における『可能性』について」筑波数学教育研究,vol.5(1986)pp.1 -12 に詳しい記述がある。